リカルド・アドルフォ Ricardo ADOLFO
1974年にアンゴラに生またリカルド・アドルフォはアンゴラは、現在東京に在住するポルトガル人作家である。2003年に短編集『すべてのチョリソーは焼くためにある』 でデビュー。初長編『ミゼー』はポルトガルでベストセラーとなり、スペイン語、ドイツ語、オランダ語に翻訳された。長編第4作『ショット・ガンのマリア』は多くの反響があり、ポルトガルの “Visão”誌20周年記念号ではエルサレム賞受賞作家のアントニオ・ロボ・アントゥネスによって「ポルトガル文学界の未来の顔」として選ばれた。本作が収録されている2015年刊『東京は地球より遠く(“Tóquio Vive Longe da Terra”)』では日本で働く外国人のサラリーマンの目から見たおかしな日本の日常を描いている。同書からは2019年刊の『ポルトガル短篇小説傑作選 よみがえるルーススの声』(現代企画室)に3篇が収録されている。長編第3作の邦訳『死んでから俺にはいろんなことがあった』が2023年に書肆侃侃房から出版予定。
リカルド・アドルフォ
木下眞穂訳
34階のボタンを押そうと手を伸ばしたが、すでに時遅し。魚群のごときサラリー男の群れに壁に押しつけられたぼくは、そのままそこで鞄を抱え、目の前の島民の背中にぼくの腹がくっつかないようにと息を止めた。魚群は次々になだれ込んできた。このエレベーターは無限大とでも思ってんのか。1立方ミリメートルにつき1人、入ってんじゃないか。いや、1人どころじゃないところもあったかも。鼻先がむずがゆくなったって目的階まで苦しみ続けるか、ぼくにぴたりとくっついているサラリー男の肩の世話になるしかない。
とりあえず、最初の停止階である20階へと向けてエレベーターは離陸した。ボタンを押させてほしいというぼくの嘆願は却下された。おそるおそるのぼくの訴えは、島民には認識されなかったのだ。もっと声高に訴えるべきだったのかもしれない。エイリアン在留許可証をもらい、シブヤの近くの、いまだに何を作っているのかぼくにはさっぱりわからない会社で英語教師になる契約を済ませてからこのかた、ぼくは、何をするにしても、よそ者という立場をわきまえるように気をつけ、島民に反感を持たれてせっかくもらった在留許可証を返せと言われないようにしてきたのだ。
だが、ぼくはまだ、この島のエレベーターの乗降手順をマスターしてはいなかった。まずは、降りる人を優先させる。それから、ドアに向かう列が崩れる瞬間を察知しなくちゃならない。完全なるカオス、すべては無礼講、と見えて、実はしっかり順番があり、男たちが頂点にいる食物連鎖を蔑ろにすることは絶対にあってはならない。男たちの次は年配の男、いつか男になる子ども、年配の女、今後も決して男にはならない子ども、それからようやく最後に女たちだ。
こういうことは、エレベーター以外でもよくある。電車、地下鉄、その他の乗り物でも、イベントなんかでも、人が集まるところであれば、収容人数超過どころか、無理がありすぎる数の人間が詰め込まれることがある。どれだけ身を縮めたって限界以上の人がそこに存在しているという事実は覆せない。つまり、この島で、ぼくみたいなエイリアンの存在意義を見出すのも難しいということだ。ぼくが占めているこの1平方メートルは、他の人間だったらもっとうまく有効的に使うんだろうなという気がしてくる。島民にとったら、エイリアンなぞ、ただの蛮人にすぎない。ただ、エイリアンたちは2か国語以上話せるし、島民には不可能かつやりたがらないこともいろいろとできるという点がある。でなきゃ、とっとと自分の穴ぐらに帰れと言われるだろう。
エレベーターは40階に向けてまっしぐらに飛んでおり、ぼくは自分の階がぐんぐんと遠ざかるのをじっと見守った。エレベーターが止まり、停止階のボタンを押すという偉業を果たした人間をお通しするためにドアの近くにいる人間は一度降りた。集団の調和を乱さぬこの動き、まるでミリ単位の人間テトリスだ。
48階まで到達すると島民の最後の一団がエレベーターを出ていったので、ぼくは引っ込めていた腹の力を抜き、鼻の先を掻いた。しまった。つい気を緩めちまった。次の魚群が空いたスペースに我も我もと入って来たのだ。今度の群れが目指すのは1階。彼らは就職活動の面接が終わった大学生たちだ。まだ真のサラリー男にはなっていないが、ぜひともなりたいと願っている証拠に、サラリー男のユニフォームというべき安物のスーツはすでに身に着けている。ぼくは群れの中でもがいて、停止階ボタンのパネルのそばまで行こうと頑張った。腕を伸ばしてもあと少し、目的まで届かない。ぼくはよっぽどエレベーターに好かれていて、降りるなと引き留められているに違いない。エレベーターは降下を始めた。よし、34階のボタンを押すぞと行動に移そうとしたその瞬間、パネルの前に立つ、役職の高そうなサラリー男がそのパネルに額を預けて深い眠りにすとんと落ちた。これまでも、ここはどうかと思うような場所で眠る島民は色々見てきた。一度など、銀行のATMコーナーで、カードを手にしたまま眠りこけているのを見たこともある、だが、エレベーターで立ったまま寝ているのは初めてだ。
ようやく群れが外に流れ出ていったので、ぼくは急いでパネルに飛びついて34を押した。やったぜと鼻高々に、「開」のボタンをずっと押しつづける。エレベーターから素早く降りられる特等席から動かずにいるよい口実になるからだ。だが、せっかく待ち構えていたのに、次の魚群は入ってこなかった。さらに1秒待ったが、小魚1匹入って来ない。これはきっと、厄介をかけたなとエレベーターの精がぼくをねぎらってくれているんだ。次の旅が始まったのを感じながら、ぼくは側面の壁にもたれて身体を休ませた。すると、合図もなくエレベーターが垂直飛行を突然止めたので、ぼくの身体は奥の壁側に投げ出された。緊急ブザーが鳴り響く不穏な空気の中で、3か月に1度の地震避難訓練があるという予告のメールをもらっていたことをふいにぼくは思い出した。壁伝いにずるずるとしゃがみこみ、このエレベーターにエイリアンが取り残されているという連絡が消防団にいきますようにと願ったのだった。
〈訳注〉2012年まで日本では外国人登録のことをAlien Registrationと称されていたことから、本作では外国人をエイリアンと呼んでいる。
『東京は地球より遠く』(未訳・“Tóquio Vive Longe da Terra” 2015年、Companhia de Letras社 )所収