アルベルト・サヴィーニオ(1891-1952)
本名、アンドレア・デ・キリコ。イタリアの作家、画家、作曲家。兄のジョルジョ・デ・キリコとともに、形而上派絵画の創始者の一人に数えられる。アイロニックでシュールな要素に富む彼の小説の特徴は、その大胆な実験主義にある。伝記集「人よ、己の歴史を物語れ」(1942年)は大成功を収めたほか、彼の特徴をよく表す作品として「両性具有」(1918年)、「恋するアキレウス」(1938年)、「ニヴァージオ・ドルチェマーレの幼少期」(1941年)が挙げられる。これらの作品においては、幻想的なものへの嗜好と、ジャンルとスタイルを混ぜ合わせる傾向が顕著に現れている。短編「母はわかってくれない」は、サヴィーニオの小説の集大成と考えられ、身近な経験の異質で不気味なものへの変幻自在な変容をテーマとする短編集「“人生”という名の家」に収められている。
アルベルト・サヴィーニオ
原田 拓夢 訳
12月31日の夜、ニヴァージオ・ドルチェマーレが帰宅する。最上級のウールを纏い、トリプルソールの靴を履き、衣装棚のように広い折り目のついた大きな外套に身を包んだその姿が、霧のかかる街路を横切っていく。街中に燃えた薪のにおいが漂っている。クリスマス休暇と年末の吐息だ。ニヴァージオ・ドルチェマーレが住む通りは、高級な住宅が並ぶ通りで、一つの店もなく、一方には一軒家が立ち並び、他方には黒々とした木の枝が修道院の壁から突き出している。この剥き出しの木々が、通りの唯一の悲壮な側面、世界の終わりなき苦痛への呼びかけである。反対側の家々は、一つの密な要塞であり、セメント製の装甲で特権を有する数百人の富を守っている。ニヴァージオが先ほど横切った、宝石や玩具、甘味、魅惑的だが何の有用性もないぜいたく品の展示で眩く光るほかの通りに比べ、ニヴァージオ・ドルチェマーレが住む通りは、その上品さゆえに穏やかに照らされている。つやのある歩道に車が止められており、さながら太った亀が眠っているようだ。これは、ドルチェマーレ夫人が家にいるしるしだ。彼の妻を指す「ドルチェマーレ夫人」という呼称が、今夜のニヴァージオには、まるで初めて聞くかのように不自然に聞こえる。これは休暇の毒だ。過ぎ去ったもの、忘れ去ったものを目の前に引き戻してくる。私たちの母の記憶のような、不滅であると信じている物事が気づかぬうちに薄れ、忘却の暗闇に落ちていく、ということもまた、ニヴァージオ・ドルチェマーレに重苦しい驚きをもたらす。たった今、ニヴァージオは、かつては「ドルチェマーレ夫人」は彼の母だけであったことを不意に思い出す。モーレ・アントネリアーナ、メトロニア門、マクセンティウスのバジリカなど、モニュメントに称号が記されているように、彼の母にはこの名が堂々と記されていた。彼の母には彼女自身と、彼女に由来するものすべてを荘厳にする才があった。ニヴァージオは別の人物への名の譲渡が、いやむしろその連続がいかに難しいものであったかを考える。その結びの輪を溶接し、彼の妻もまた「ドルチェマーレ夫人」である、という習慣を作り出すことはいかに困難であったことか。彼の母は存在するだけで、何世紀にもわたって彼女だけが「ドルチェマーレ夫人」と呼ばれる権利を持つのだ、と言っているようだった。彼女の身体が未来への扉を完全にふさいでいて、ほかの人の身体をはじき出していた。しかしいったいのどのようにして、あんなにも小さいからだを、大きく、威厳のあるものに見せることができていたのだろうか。静かな、だがそれでいて恐ろしい悲劇が、家政婦が一通の手紙を持ってきたときに勃発した。その手紙が自分宛だと思い込んだドルチェマーレ夫人に家政婦は言ったのだった。「いいえ。これは
ニヴァージオ・ドルチェマーレの腕には荷物が山積みになっている。妻と子どもたちにたくさんの贈り物を運んできたことに喜びを感じ、心の中で支払った金額を数えながら、その総額には非常に満足している。
門の前に着いた。ニヴァージオは巧みにバランスを取り、やっと玩具の小包とイチゴの小包の隙間から人差し指を自由にする。光る呼び鈴のボタンを押すと、すぐに門が開く。12月にイチゴだなんて!妻は何というだろうか?ニヴァージオ・ドルチェマーレは格式ある家の暖かさに歓迎され、絨毯で足を止める。門番の「こんばんは、受勲者さま」という挨拶に愛想よく返事をし、エレベーターに向かいながら、このときもまた考える。「アウグストゥスは真の価値がわからないまま生きてきた。彼は私を受勲者と呼ぶことで、私が喜ぶと思っているのだろう。かわいそうに!ニヴァージオ・ドルチェマーレに声をかけるときには、どんな称号もちっぽけで冗長な言葉にしかならないことを、ああいう輩がわかることはないだろう。」和やかで貴重な香油の香りが広がるエレベーターが、ニヴァージオ・ドルチェマーレを3階まで運ぶ。
すべての部屋に明かりがつき、家は幸福な振動に満ちている。粉挽き場に入るとき、小麦を挽く粉挽きの規則正しい音に出迎えられるように、彼の住居に入ると、ニヴァージオ・ドルチェマーレは幸福を挽く機械の規則正しい音に出迎えられた。
ジュリオの顔もまた、ニヴァージオ・ドルチェマーレにとって好ましい姿の一つである。ジュリオは
ジュリオは完璧な召使である。なんの反抗もしない。人間の尊厳からの反抗も、まして名誉の感覚からの反抗もない。イエズス会的な振る舞いは、勉学の成果というよりはむしろ生まれつきの才能に依るようだ。
2年程前の夏、ニヴァージオは街に一人で残っていた。というのも、マリアと子どもたちはポヴェロモにある別荘に行ってしまったからだ。そうして彼は一人、トラットリアで夕食をとっていた。
ニヴァージオはマンチーノのトラットリアでジュリオと知り合い、すぐに彼を評価し始めた。ジュリオは面白みのないほかの給仕たちとは異なり、迅速に「ニヴァージオ様」という名前を覚え、「ニヴァージオ様」の食事指導にあたり、ある料理を推奨し、別の料理を勧めず、できる限りの量を盛り、そして料金を大幅に値引きしてくれた。
秋が訪れ、ドルチェマーレ一家は再び街に集まった。期待に満ちて始まる関係を断絶する夏の愛特有の運命から逃れたジュリオは、ドルチェマーレ家の御用達、食卓の影の忠告者となった。いつも笑顔で、アヒルのような偏平足に喜びを表現し、好意的かつ、お願い事を「重荷にしない」雰囲気で、ドルチェマーレ宅に珍味や市場にない食品、あるいは密造食品を運んでいた。
だが、ニヴァージオ・ドルチェマーレとジュリオの間に今なお彼らを結び付け、誰にも解けないほどに見える同盟が結ばれるには、これで十分でなかっただろう。むしろ、神明裁判、火神判のようなものが必要であった。
ある晩、マンチーノのトラットリアで、ジュリオがニヴァージオに腐りかけの骨付き鶏モモ肉を提供した。ニヴァージオはジュリオの忠節に多大な信頼を育んでいたため、ジュリオから提供されたものは、どんな食べ物であれ、たとえ火のついた炭の皿であったとしても受け入れたことだろう。だが、腐った肉が醸し出す悪臭はあまりにもひどく、ニヴァージオは身震いしながら皿を押しやり、ジュリオを呼び出し、腐った鶏肉を指して言った。「ジュリオ、この動物はひどい
ジュリオの側では、厚い下瞼に支えられた目、絶え間ない微笑み、変わることのない甘ったるい声の魅力を確信していたために、この魅力があれば、どんなに馬鹿げた嘘も突き通せると信じている。そして言った。「ニヴァージオ様、この鶏肉は非常に新鮮です。」
高血糖に悩まされていたニヴァージオ・ドルチェマーレは、突如激しい怒りに襲われた。
「
ニヴァージオはこう言って、「死体」が置かれた皿をつかみ、ジュリオのほうに投げつけ、ジュリオは真っ白な食堂従業員用シャツの胸元で受け止めた。一度目、ニヴァージオは「ひどい
これが火神判であり、神明裁判であった。ジュリオはまばたきもしなければ、唇に浮かべた笑みを絶やすこともなく、「死体」と奇跡的に割れなかった皿を素早く屈んで集めた。それから一分もたたないうちに腐った鶏モモ肉の代わりに、倍の大きさの、こんがりと焼けて香ばしい鶏肉を持ってきた。その1本の鶏足は真っ白な胸肉に押し付けられていた。ジュリオは侮辱を受け、皿を胸に投げつけられたのではなく、賞賛を受け取ったかのように、笑顔で素早く、媚び諂って新しい皿を「ニヴァージオ様」の前に差し出すと、怒りが落ち着いたニヴァージオはまばたきして、恥ずかしさで混乱しながら受け取った。
この素晴らしい鶏肉をテーブルに置きながら、ジュリオはささやいた。「ニヴァージオ様、これは会計には含めません。」
ニヴァージオ・ドルチェマーレは奉仕する感情と奉仕させる感情のどちらも下劣なものだと思っている。だが、どうすればこうした人間に抵抗できるだろうか?冬の初め、ジュリオはマンチーノのトラットリアを辞め、ニヴァージオ・ドルチェマーレに雇われた。かくして、ニヴァージオ・ドルチェマーレとジュリオの間に共犯関係が結ばれた。そのおかげで、ジュリオが滑りを良くした道具を使って、麻酔にかけられた無抵抗の「ニヴァージオ様」から盗みを働くことができるようになり、さらには無欲に
ドルチェマーレ家において、幸福を挽く粉挽機の音がいつも聞こえているわけではなかった。だが、機械が静かなのは、幸福の倉庫がいっぱいだというしるしなのだ。
夜になり、マリアはメドゥーサの頭のようにヘアカーラーで髪を逆立たせ、顔にクリームを塗りたくって、彼女の部屋で寝る。アンジェリカとルッジェーロは雛鳥のにおいがする彼らの部屋で。ジュリオはようやく彼の偏平足をベッドに休ませる。二羽の鸚鵡もまた、クロムメッキの止まり木の後ろで眠っている。かまどはキッチンで、蛇口はトイレで。ニヴァージオだけが夜更けまで起きている。その時、彼は家を満たしてあふれんばかりの幸福を感じるのであった。
夜、彼だけが起きていた。彼だけが。だが、いつもではない。そういうときは、彼が起きていて、それから一匹のゴキブリ、夜行性の鞘翅類が闇の中でゆっくりと排水管を上る。50歳を過ぎ、ブルジョア的で穏やかな生活にくつろいではいたが、ニヴァージオ・ドルチェマーレは、偉大な人物の生涯に特有の英雄的な部分を捨て去ってはいない。たとえば、かつてに比べれば少なくなったものの、夜中に時折目を覚まし、人や物の静寂のうちに高尚で広大な瞑想に耽る。その時、惑星は太陽の管理下から逃れ、自由で無限の空間へと向かうのだ。
「お客様が到着なさいました」とジュリオが貯金箱のような笑みを耳元まで広げながら言う。
ジュリオの知らせは無駄である。というのも、クリスタル・シャンデリアの金色の光が差し込む、薔薇色のカーテンで覆われた居間のステンドグラスから、客人たちのおしゃべりと笑い声が漏れ聞こえていたからだ。だが心理に通じた召使ジュリオは、主人にとって好ましいことをする際には、言葉は決して無駄ではなく、繰り返しは行き過ぎることもなく、冗長な言葉もつねに快く受け入れられることをよくわかっている。
突然、おしゃべりと笑い声が大きくなる。居間の扉が開き、マリアが玄関へと入る。ニヴァージオはジュリオの助けを借りて外套を脱ぐ。夜会服に身を包み、宝石できらびやかに輝くマリアは、ニヴァージオの頬に手早くも微笑んでキスをする。明かりに照らして透けて見える手のように、家の光に照らされて透明になり、子どもたちがすでにベッドに入っているかを確かめるために、香水の香りを漂わせて軽やかに走っていく。少しして、アンジェリカとルッジェーロは同じ寝間着で、サックレースをするかのように長いズボンを引きずりながら、父親におやすみの挨拶に来る。
夜会は寛大さと気品に満ちて進行する。晩餐にはドルチェマーレ夫妻の友人が招かれ、洗練された食事は、右に出るもののいないジュリオによってきっちりと給仕された。他の招待客は晩餐後に到着した。ニヴァージオはあちらからこちらへと渡り歩き、あらゆる場所で賞賛と感嘆の言葉を受ける。淑女たちの賞賛は誇張されており、紳士たちの賞賛はより控えめだ。後者のほうがよりニヴァージオ・ドルチェマーレの好みであったし、より意を凝らし、見事に事実を言い当てている。女性たちは賞賛の仕方がわかっていない。まったく調子を外した女性たちは、ニヴァージオ・ドルチェマーレの身体的な美しさや肌の血色の良さを褒め称える。彼のほうは、世界で最もみじめな男でありたいと願いながら、同じように精神の高尚さや魂の輝き、才能の比類なさや独創性で賞賛されたいと思っているのだった。「だが女性たちは、」ニヴァージオは工夫もない賞賛が与える卑しい印象を正すために、無自覚のうちに考える「女性たちはすべてを身体の問題に矮小化するが、身体を通じて道徳もまた理解している。ならば彼女たちの基準がより良く健全なものでないと誰がわかろうか・・・」
ニヴァージオ・ドルチェマーレは話し、聞き、質問を投げかけ、答えを聞くが、同時に口にされない嫉妬の声に耳を傾ける。声に出して考えを整理しながら、同時に声には出さない別の思考を辿る。客人に伝えるための思い出を呼び出すが、同時に明かされることのない別の思い出も呼び出す。話し相手と対話し、同時に自分自身と心の中で対話する。彼の唇を動かす微笑み、あるいは彼の眼鏡のレンズの下に見える光の多くは、客人たちが伝えた物事ではなく、独り言の産物なのだ。今夜ニヴァージオ・ドルチェマーレは、彼にしか見えない舞台で自身のパートを歌う歌手のようであり、その舞台は彼の多彩で幸福な人生の、言葉では表しえない演出である。
ニヴァージオ・ドルチェマーレが書斎の机へと戻ってきたときに見つけた郵便物もまた、彼が今宵感じていた深い満足感をさらに生き生きとして、根拠あるものとした。出版社からの手紙には、非常に友好的な内容が書き綴られ、また数日前に到着した原稿料の前払いとして多額の小切手が添えられていた。若者向け雑誌には、濃青色の鉛筆で囲まれた記事が掲載されており、そこでエラクリト・パリースなる人物が「ニヴァージオ・ドルチェマーレの最新の散文」を恭しく論じ、ニヴァージオを巨匠と奉っている。それから、マルゲーラ在住のファンの手紙があり、彼はラ・スタンパ紙に掲載されたオルフェウスについての記事を読んで「偉大なる作家様へ手紙を書かずにはいられなかった」のだった。
マリアがテーブルから立ち上がり、荒んだ食事場の会食者たちから離れると、ニヴァージオはその混乱を利用して書斎に戻った。書類入れから数日前に出版された彼の文芸批評の切り抜きを取り出し、ゆっくりと、マルゲーラのファンに最も賞賛されている節を特に念入りに読み、その賞賛を味わっていた。そのファンは手紙に
ニヴァージオが甘露を飲むかの如く自身の批評を読み直しているとき、彼の近くで微かだが、途方もなく悲しげな呻き声が響き渡る。
この呻き声がニヴァージオ・ドルチェマーレを驚かすことはないが、彼の気には障る。ニヴァージオが身体の奥底で知っていて、悲劇のように親しい声を再び聴いているかのようである。だが、彼はまだ批評の吟味を辞めず、その声に大した注意を払っていなかった。
ニヴァージオの書斎は鮮やかというより金色の、気品ある光に照らされている。やわらかい絨毯は足取りを和らげる。開かれた扉から、集まって座ったり、番になって歩き回ったりする客間の客人たちが見える。彼らの声が明確な言葉として聞こえることもあれば、ただの音として届くこともある。だが、ニヴァージオは聞いていない。彼は読み続ける。
呻き声が再び響き渡る。
ニヴァージオは読み終えた。エラクリト・パリスの記事、カヴァッロ氏の手紙は彼に大いなる文学的幸福を与える。ニヴァージオは幸運の一致を取り逃がすことなく、エラクリト・パリスの賞賛が、形而上学的に哲学者ヘラクレイトスへの賞賛を含んでいることを見て取る。賞賛は大いなる光でもって彼の完結した著作と、執筆中の作品を照らす。ニヴァージオには、彼の作品、彼の計画が理想的な劇場に配置され、高くから神格化の光に照らされているように見える。ニヴァージオ・ドルチェマーレの著作が神の存在を否定しないのだとすれば、それはその著作の中で神が存在しないことが暗示されているからであり、神の存在を超えたところ、かつては彼以外の人々にとって必要不可欠であったが、ニヴァージオ自身は幼いころから真剣に取り合うことはなく、今や完全に忘れ去ってしまっていた多くの公理を超えたところで語っているからである。クリスタル製の盃をワインで満たすかのように、彼の知性だけで埋め尽くした、彼を取り囲む白銀の空白をニヴァージオは誇りに思っていた。そして、彼にふさわしい唯一の友人からの言葉であるかのように、ニヴァージオはルクレティウスの詩の一節を思い出す。
かくして我々の足元にある迷信は踏みつけられ
勝利が我々を天と対等にする
呻き声が再び響き渡る。
おぞましい記憶だ。ニヴァージオの母の死期は2週間続いた。おぞましい記憶だ。一人の修道女が看病していたが、彼女は神への愛から病人の看護に献身していたのであり、ミサの時を告げる鐘が鳴れば、ほかには目もくれずに去っていき、病人を一人で死と対峙させるのであった。偉大なるドルチェマーレ夫人、威厳ある貴婦人、不朽の女性、生きるモーレ・アントネリアーナは、再び起き上がる希望もなく、かつらも被らず、入れ歯も入れず、骨だけで肉も無く、苦悩に苛まれたベッドに横たわっていた。修道女は太腿か臀部に、少しの間でも彼女を眠らせるためのスパルマルギンを注射する「ひとつまみの」肉を見つけられないか悪戦苦闘していた。小さな叫び声をあげる生き物と化してしまった母は、もはや息子のこともわからず、見るともなく彼を見て、突如として「個人的な理由」から泣き喚きはじめ、嵐の海に引き込まれないようにするかのごとく、骨と皮だけになった手でマリアの腕を握っていた。彼女の叫びは規則的でやむことがない。不自然で不合理な叫び。首を絞められ、引き伸ばされた雌鶏のような叫び。叫びは扉を越え、壁を越え、日を越え、夜を越え、家を越え、上階へ登り、階下へ下り、門衛室までも届いていた。
死期。ニヴァージオはその頭脳すべてを使って死期という言葉の意味を考えていた。戦いだ!そして戦っていたのは彼の母だった。ああ、母よ!見えない敵と、援軍の可能性も勝利の希望もなく戦っていた。そのとき、ニヴァージオは理解した。生から死へと移り行くためには、とても狭い通路を通るときのように、身体を丸め、小さく、小さくなる必要があるのだと。それからニヴァージオは、死とは最も困難な分娩であり、恐ろしい誕生なのだ、と考えた。そしてニヴァージオは死期の苦痛のすべてがこの通路の狭隘さによるのだ、と分かった。さらにニヴァージオは私たちに最も親しみのある生き物が死期を迎えるとき、つまり移り行くための闘争を始めるとき、それが私たちに希求するのは、移り行きのこちら側にそれをとどめるのではなく、言うにもおぞましいことだが、向こう側に行く手助けをすることなのだ、と感じたのだった。
今やこの叫びが、彼の近く、右手のほうで木霊する。あの時の叫びの影、あるいは亡霊のように極めて細く。
隣の部屋から聞こえるこの弱弱しい呻き声は一体何なのか?ニヴァージオはこの部屋に入ったこともなく、彼の書斎の隣に別の部屋があるということすら気づいていなかった。だが、彼にとって驚くほどのことでもない。ニヴァージオ・ドルチェマーレの邸宅は広大で、いまだに探索されたことのない場所、ニヴァージオがまだ冒険していないところがあるからだ。よくあることだ。「明日行ってみよう」と言い、先送りにして、そしてもはや考えることもなくなる。こうして、私たちはほとんど、あるいはまったく知らない、秘密と策謀に囲い込まれた場所に住むのである。
隣接した部屋に明かりはないが、書斎の光が開かれた扉から差し込む。だが、誰がその扉を開けたのか?
呻き声は繰り返される。
ニヴァージオにはもはや明らかである。呻き声は彼を呼んでいるのだ。
時宜を得ない呼び声。ニヴァージオが客人たちから離れてずいぶん時間が経ち、まさに客間に戻ろうとした瞬間に、見知らぬ部屋から彼を呼ぶ。
客人たちの元に帰るという義務を抜きにしても、ニヴァ―ジオ・ドルチェマーレは悲しみや苦痛、貧困といった物事を耐え難いものと感じ、共感を誘うものすべてが彼の気分を害する。
短くも、やむことなく呻き声は繰り返される。痛ましい呼び声には、何か子どもらしいもの、痛ましいほど小さいもの、あるいはむしろ幼稚なもの、最小限まで押し込められたものがあった。
ニヴァージオは見知らぬ部屋に足を踏み入れる。
この部屋は何のためのものか?
薄明りで部屋の中のものは正確には見えなかったが、積み上げられた家具が仄見える。あれは「別の時代」の家具だ。
薄明りにも徐々に目が慣れ、二ヴァ―ジオ・ドルチェマーレは家具たちのいくつかの身元が分かり始めた。ルネサンス期フィレンツェの食器棚、ブドウの房の形をしたドアの引手、ファエンツァ製の焼き物が並べられた食器棚。それから、2段目の引き出しの鍵穴回りの金属塗装が剥がれた箪笥。大理石製のテーブル付き洗面台に、赤い花柄の洗面器、注ぎ口が欠けた水差し。あとは竪琴型の長靴脱ぎ具。
ニヴァージオは家具たちの身元が分かった。彼の子どものころの家具だ。遊び部屋の腰掛はひっくり返され、そりとして使われていた。彼の父が「発明した」手洗い場の水を温めるための取手付き釜もある。
これらの「歴史ある」家具たちは、その用途の論理に応じてではなく、倉庫にあるかのように積み上げられていた。
ニヴァージオは考える。「私の
だが、家具たちはもしかしてずっとこの状態だったかもしれない。積み上げられたまま。ニヴァージオには秩序がなく見えているものはおそらく、彼らの本当の秩序なのだ。彼が幼少期を過ごした家は、日の射さない森のように濃密で薄暗い。幼少期の家が骨董品店でないと感じた者がいるだろうか?
呻き声が間近で響く。
ニヴァージオは屈む。
床には一羽の雌鶏がいる。
小さな、小さな雌鶏だ。
呻き声は彼女のものだ。
何を言っているのか?
ニヴァージオはより深く屈み、耳を小さな雌鶏に近づけると、ぽつぽつと言葉が聞こえる。「わ…しは…たの…は…」
ニヴァージオは聴く。小さな雌鶏は執拗に、不安に駆られたように繰り返す。「わ…しは…たの…は…」。
ニヴァージオがまず考えたことは、書斎の扉、次いで部屋の扉を閉めることで、小さな雌鶏と客間でたばこの薄青い煙に巻かれながら談話する客人たちの間に、たとえ木製であっても、何らかの二重の障壁を張ることだった。
しかしそのあと、ニヴァージオは考えを改める。このような状況に陥ってしまっていたとしても、母を再び見つけ出したことに満足する。会うことができなくなってから、多くのこと、多くの変化が起こった。ニヴァージオは急いで母に知らせようとする。書き物机で彼女に見せる。エラクリト・パリスの記事とカヴァッロ氏の手紙を、それから、数々の家財、広々とした居宅、階下の客人たち、そして彼を有名な作家様と奉る多くの人々を。
ニヴァージオは小さな雌鶏を見つめ、彼の言葉への反応を知ろうとする。だが、小さな雌鶏の眼は丸々として動かない。何もわからないようだ。ただ、時折か細く、とてつもなく悲しげな呻き声を発し続ける。
ならば、とニヴァージオは小さな雌鶏を客間へと誘う。彼女を客人たちに紹介しよう。皆に母が帰ってきたと告げようと。もう離れることはなく、永遠に一緒に暮らすのだ。
だが、小さな雌鶏は見てわからないほど微かに頭を少し動かすことで、この部屋からは出られないこと、家具たちから離れられないこと、翼を広げられないこと、その2本の鶏足を床から離せないことを理解させる。
ニヴァージオは理解する。ひとつの歯車が突然彼の頭の中で回りだし、それが止まった時、物事の
そこで、ニヴァージオは書斎と「見知らぬ」部屋の扉を閉めに行く。ただ、その理由は先ほどとは違う。
書斎と「見知らぬ」部屋の扉を閉めながら、ニヴァージオ・ドルチェマーレは人間が為しうる最大の諦めを行う。人生を諦めること、自身の人生であると「信じるもの」を諦めることだ。
部屋は薄暗いままだ。だが、ニヴァージオには真昼のように明るく見えた。
ニヴァージオは小さな雌鶏に近づき、近くに屈みこみ、彼もまた小さく、小さくなろうとする。成った。彼が知らないと思っていたが、実際には彼がこの世に辿り着いた場所である部屋の暗闇の中で、ニヴァージオは長く押しとどめていた涙を静かに流す。一生分の涙だ。
そのとき、小さな雌鶏は呻き声を止める。
彼女の雛鳥を見つけたのだ。