ヨーロッパへの窓

★★★★★★

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生きもの、カラス、五人の子ども

Os Animais, os Corvos e os Cinco Meninos

ゴンサロ・M・タヴァレス

Gonçalo M. Tavares

ゴンサロ・M・タヴァレス
1970年アンゴラ生まれ。作家。リスボンの大学で科学理論を教える。著作はこれまでに約50カ国で出版され、『エルサレム』(河出書房新社)でジョゼ・サラマーゴ文学賞、ポルトガル・テレコム賞、レール賞を受賞。そのほか、多くの作品でフランス最優秀外国小説賞をはじめとする国内外の文学賞を受賞している。長編『エルサレム』と短篇『ヴァルザー氏と森』(『ポルトガル短篇小説傑作選 よみがえるルーススの声』・現代企画室に収録)が邦訳されている。

生きもの、カラス、五人の子ども

ゴンサロ・M・タヴァレス
木下眞穂 訳

 オリガは喜んでいる。すでにつながるべきところは全部つながっているし、オリガはプラスとマイナスの法則をよく知らないかもしれないが、電気があちらからこちらへと通るためには、つながなくてはならない電極や素材があるのだということも、わかったのだ。

 アレクセイは指揮者の役どころなのだが、曲をぜんぶ知っているわけではないので不安に思っている。そこはやはりオリガだ、いつだって一番賢く、人より一歩前を行き、先導するのが好きな小さなオリガ、もう文字もだいたい間違えずに書けるし、あれとこれとを繋ぐのも、カエルがぴくりともせず、相変わらず机の上で死んだままだということは何かがうまくいっていないせいだと、最初にがっかりするのもオリガなのだ。本で読めば、それはなんだって簡単に見える。だから、こんなことになるはずじゃなかったし、アレクセイがオリガを叱りつけるのもこれが最後ではなかった、とても賢い妹ではあったのだが。

 お人形は別だ、とにかく、お人形の一番よいところは、うっかりと、あるいは遊びのつもりで腕を一本引っこ抜いても、ぐずぐずに腐ったり臭くなったりしないところだ、だからオリガはお人形が大好きなのであって、嫌いなのは小さな生きものだ、ああいう生きものは、その細い脚をつい引っこ抜きたくなるし、そうやって下半身が動けなくなると、腹を空かせてそのうちに頭部も死んでしまうのだ。

 一度ね、とアレクセイは話したことがある、実験をやったんだって、一羽のカラスの目を見えなくして、真っ暗な、光がぜんぜん入ってこない、とても広い倉庫の中で放したらどうなるか、って。そうしたら、そのカラスはちゃんと飛べたんだって。

 カラスってのは、目を使わず、耳を使って方向がわかるんだよ、とアレクセイはオリガに言った、そして、いつだってあんなに賢いくせに、こんなことも知らないんだな、と思った。カラスは、キーンと聞こえない高い音を出すんだ、それは人間の耳ではとらえることのできない音なんだ、ところが、その音のおかげでカラスは周りが見えるんだ、とアレクセイは言った。

 だが、たぶんそれは違う。それに、この子たちはカラスとコウモリをごっちゃにしてしまっている。だが、まだ子どもなんだ、それくらいはいいじゃないか?

 それから、アレクセイは、子どもらしい絶対の確信をもって説明した、ぼくら兄妹の耳には存在しないその高い音はあちこちの物にぶつかる、するとその物たちは音をはね返して返事をするが、それもぼくたちには聞こえない、でも、その返事の音を通してカラスは見るんだ、と。つまり、カラスは、物がどこにあるか、重さはどれくらいか、どんな置き方なのか、音を聞けばわかる、それが生きているのか、死んでいるのかってこともわかるんだよ、と。そういうことを全部、カラスは聞くだけでわかるんだ。夜、カラスは見ないで聞くんだ、ぼくらとはぜんぜん違うんだよ、とアレクセイはオリガに話した、こんなに賢いのに、そんなことも知らなかったオリガに。

 すると、あるとき、悪い、とても悪い男たちが、三羽のカラスの目をつぶし、真っ暗な倉庫に放った。そして、そこに子どもたちも閉じ込めたのだ。子どもたちは、そのときにはカラスの話を知っていたので、カラスに聞きつけられるのを怖がって、互いにしーっと合図し、しゃべっちゃだめと言い合い、それぞれが息を止めようとし、動かないでいようとし、片足を横にずらすことすらしないようにして、それはまるでかくれんぼをしているようでもあったけれど、カラスは、目を使わなくても何がどこにあるかわかるのに、それなのに、カラスは腹を立てていた、激怒していた、両目をなくされ、目が見えなくなったからだ、それで、今は真夜中で、一筋の光も射し込まない倉庫の中にいても、目など使う必要がまったくない時と場所にいても、それでもカラスは目を見えなくされたこと、自分たちが実験台になったことを怒っていた、それで、三羽とも心底怒っていたので、牙を磨いて(カラスに牙はないけれども)、子どもたちを探してあちこちの物にぶつかっていっていた、なぜならその物は子どもたちの前にあり、子どもたちは物の影にしっかり隠れていたからだ、それでもカラスどもは動きやまず、それどころか、今やカラスの数が増え、数えきれない数のカラスの大群が子どもたちに怒りながら噛みつこうとしていた、目をつぶされたから、あるいは腹が空いていたからだ。

 だが、子どもたちはしっかり隠れていた。そこには古いトラクターがあった、もうずっと昔から止まったまま、前にも後ろにも1メートルだって動かないのだが、それでもその古いトラクターが、もう動くこともないのに、後ろにアレクセイと小さなタチアナ、さらにはオリガも隠していた、いつでも賢いオリガは、このトラクターならば大きさは充分、子どもが三人、カラスから身を隠すにはちょうどよい形をしている、とわかっていた、だが四人は無理だ、四人はさすがに隠し切れない、そこのところをマリアは理解できず、それで、マリアの体の一部がもう動かない古いトラクターの庇護の外に出ていた、カラスたちも体の一部が無防備にはみ出していることに気づいていた、だが、マリアの頭はちゃんと守られていて、肺も、心臓も、脳も、足も、脚も、マリアの体の大部分はトラクターの後ろにちゃんと隠れていた。ところで、アナスタシアはどこにいる? あの子はどこだ? あの子の姿が見えなくなった。アナスタシアはいつもこうだ、とアレクセイはいらつきながら考えた、ぼくらが危険な目に遭っているときに迷子になり、ぼくらが怖い思いをしているときにいなくなる、ぼくらが死にそうなときに姿を消すんだ、と。アレクセイはこう考えているうちにむかっ腹が立ち、後先も考えずに叫び出す。妹の名を、小さなアナスタシアの名を叫ぶ。けれど妹はそこにはいない、倉庫の中にもいない。だが、兄姉たちとはぐれてずいぶん経つから、アナスタシアに危険はないのだ。危ないのは自分たちのほう、ほかの四人の兄妹である。特に、アレクセイが動いたのでなおさらだ、カラスどもはこぞってそっちに向かって攻撃をはじめている、みんな頭に血が上っている、それで、いかにも考えのない動物らしくトラクターに向かって突進する、そして、この馬鹿どもは、そうやって自分で自分の骨を折ってもまだぶつかってきて、数秒も経てばまた古いトラクターの金属板にぶつかってくる。そうやってカラスどもは自ら死んでいく、集団自殺のように、古いトラクターに力任せに頭から突っ込んで死んでいく。結局、マリアがお尻を噛みつかれただけだ、とはいえカラスが噛みつくくらいでは重傷にはならない、すぐに兄妹たちが手当てをしてやるはずだ、最後のカラスが自分で死ねば。カラスどもは目をつぶされて怒り狂っていた、完全に激昂していた、そして、そこにいる最後の数羽は、錆びついた金属板にぶつかってくる馬鹿なカラスどもは、目は見えなくても高い音を出し、耳もちゃんと聞こえているのに、それなのに、馬鹿だから死ぬのだ、群れが丸ごと、一羽ずつ、あるいは数羽がいっぺんに死んでいく、それで手にする勝利なんて小さなものだ、その危険な歯で噛みつくことができたのはマリアの尻だけ、全身を隠す場所がなかったマリア、その尻からは血が出ている、きっと痕が残るだろう、大きくなっても服を脱げば、まだそこに痕はあるだろう ―― だが、尻の傷痕くらいなんだというのだ、みんな生きているんだから、それにオリガ、あの賢いオリガがマリアに質問を次々と浴びせている、マリアの気を逸らしてやるためだ、悪い噛みつき、あの邪悪な噛みつきのことを考えないように。

 しかし、もう日が昇り、ようやく倉庫にも光が入ってくる。アレクセイは見る、だが、最初に叫び声を上げるのは、片手にお人形を持った小さなタチアナだ。倉庫の床に落ちているのは七羽や八羽のカラスなんかじゃない、何十羽、何十羽ものカラスの死体だ、それが積み重なって山になっている、ほとんどすべてのカラスが古いトラクターを囲んでそこにいる、馬鹿な生きものの黒い山だ、人の耳には届かない高音を出し、その高音のおかげで暗い中でも方向がわかり、そんなにも秀でた聴覚を持つ動物なのに、馬鹿すぎるせいで、古いトラクター一台すらうまく囲いこむこともできなければ、五人でもない、四人の子どもたちを攻撃することもできやしない(アナスタシアはどこだ?)。

 四人の子どもたちはトラクターに乗りこんだ、ああでもない、こうでもないと動かそうとしているのは、一番年上のアレクセイだ。だが、トラクターは古いせいか、ガソリンがないせいか、動かない。トラクターは、悪いカラスどもを殺すことはできたくせに、動かない、それで、マリアはトラクターを罵り、オリガも、目で見ることはなんでも真似するタチアナも、一緒になって古いトラクターを罵る、アレクセイだけはトラクターのことを悪く言わない、なぜかはわからない、彼に理解はできない。

 こんなことになったのは誰のせいだろう? と、アレクセイは自分に問うてみる。カラスどもなのか、自分たち自身、五人の兄妹なのか、大人の人間たちなのか、それとも、もう動かないのに、カラスどもの死への最終的責任があるトラクターなのか?

 アレクセイは誰のせいなのかを知りたいと思う、けれどもまだ子どもなので、それで、誰のせいなのかを考えても数分で飽きてしまい、床の真ん中に座りこんで死んだカラスを数えている。悪いことも算数も一緒に勉強しているかのように、あたかも、その二つ ――悪いことと計算 ―― は、ようするに同じ一つの科学なのだとでもいうように。そして、成長する、とはつまりはこういうこと、その唯一の科学を学んでいくことなのだ、というように。