ヨーロッパへの窓

★★★★★★

Windows to Europe

チェコ チェコ

マウトニツ男爵夫人の生涯と作品

Život a dílo baronky Mautnicové

カテジナ・トゥチュコヴァー

Kateřina Tučková

カテジナ・トゥチュコヴァーは1980年チェコ共和国ブルノ生まれ。2006年にマサリク大学哲学部(美術史、チェコ語、文学)にて学位を取得、2014年にプラハ・カレル大学の美術史研究博士課程修了。
トゥチュコヴァーはチェコの美術史家、評論家、劇作家、そして『The Expulsion of Gerta Schnirch 』(2009)および『The Žítková Goddesses』(2012)で知られるベストセラー作家である。他の代表的な作品として、『The Factory 』(2014)、『Heroins: Stories of extraordinary Czech women 』(2020)があげられる。チェコ史上初めての女性作曲家・指揮者の運命を描いた劇作品『Vitka』(2018)もまた大きな成功をおさめた。
 トゥチュコヴァーは『Getra』と『Žítková Goddesses』の両作でチェコ最大の文学賞であるマグネジア・リテラ賞を受賞したほか、ブルノ市文学賞、ヨゼフ・シュクヴォレツキー賞、チェコベストセラー賞など、多数の文学賞を受賞している。また、全体主義政権研究機関による自由・民主主義・人権賞も受賞し、イタリアのサレルノで開催されたブックフェアではヨーロッパ文学賞を受賞。2015年から2018年にかけては国際的な異文化間コミュニケーションに焦点を当てたイベント、Meeting Brno festivalを創設し初代議長として活動した。
トゥチュヴァーは現在チェコ共和国のプラハ在住。その作品はこれまでに19言語に翻訳されている。

マウトニツ男爵夫人の生涯と作品

カテジナ・トゥチュコヴァー
豊島美波 訳

その館は、プラハの川沿いをぶらぶらとしている人々を、どこか落ち着かない気持ちにさせるのだった。ぱっと見たときに、何かがおかしい、何かが歪んでいる、何かが欠けている、または余分である……何のせいかはよく分からない。そこからは違和感が醸し出されていて、その建物を見ると、まるで程近くのペトシーン公園にある、鏡の迷路の歪んだ鏡のうちのひとつを覗き込んだかのように、目がくらんでしまう。川沿いの遊歩道を歩く人たちはだいたい、その建物を二回、もしくは三回も、じっくりと観察するように眺めるのだが、それもやめてしまうのだった――ここにはそのほかにも、ヴルタヴァ川の対岸にプラハ城の眺めが広がっていた。その光景は、抗う余地もないくらい当たり前に、通行人の目を奪ってしまうのだった。
 したがって、国立劇場のかげに立っているこのアパートメントが独特なのは、ひとつひとつの窓が異なっているからだ、と解明できた人はそれほどいなかった。少しずつ違ったデザインになっているそれぞれの窓は、直角のものもあれば半円状のものも、また、三角形のアーチが上についているものもあった。柱で区切られている窓もあったが、そのうち二つに分けられているものも、三つに分けられているものもあった。そして、それぞれの窓を縁取る装飾も、ひとつずつ異なっていた。しかし、それらの違いはほんの些細なディテールに表れているだけであり、それゆえ余計に分かりにくいのだった。階が上がるごとに、窓のスタイルも少しずつ変わっていく。出窓やバルコニーに遮られて、窓がないところもあって、全体の構図はより不明瞭になっていた。そのせいで、この館が与える印象は、ごちゃごちゃしていて、整っておらず、不均衡、というものだったが、通行人たちは、そんな印象がどうして引き起こされるのか、気づくことはなかった。
 この館は、建築家のグスタフ・パペシュの設計によるものだ。ただ、そこに反映されているのは、建築家の発想よりも、むしろ館の所有者の願望だった。所有者のマウトニツ男爵は、プラハの実業家一族の最後の跡継ぎで、目を見張るような空想力と、自己顕示癖すれすれの大胆さで、時代の一歩先をいくビジョンを持っていたことに定評がある。
 先見の明にめぐまれたのちの芸術家、ストヴァッサーiが生まれるよりも二十年前に、そしてその彼が、フンデルトヴァッサーの名前で、「建築における合理主義に対するカビ宣言」というマニフェストを携えて、ウィーンで一躍有名になるより五十年も前に、マクシミリアン・アルベルト・マウトニツ男爵はこの家を建てさせ、このように述べている。「この建物は、多くの人々の目をくらませ、その口から、興奮、または反抗の金切り声をあげさせるだろう。プラハ全域でもっとも不条理で、チェコ全土でもっとも名高く、オーストリア=ハンガリー帝国全体でもっとも悪名高いものになるだろう!」

 そして今、この館は再びマウトニツ家のものになった。およそ半世紀を経てそれがはっきりと示され、入口の扉のところに、財産の返還を知らせる通達が貼りつけられた。それは、長年の間一族に対して、まるでみじめな人に対するように振舞ってきたここの間借り人たちに、あてこするようだった。
 「困窮っていうのは女男爵のお嬢さんにも、仕事をお教えするみたいだねえ?」彼女がバケツと雑巾を手に、ひとつの階から別の階へと膝立ちで移動し、ピンク色のトラバーチンの階段の上で背中を丸めていると、間借り人たちは、意地悪そうにこう笑った。館の階段を磨いたり、ワックスがけをしたり、状態を保とうとする人は、ヘドヴィカと母親以外にはだれもいなかった。本当は、間借り人たちが数週間おきに、掃除当番を交代するはずだった。それに、建物の国有化と同時に共同所有となった財産の管理についても、そのはずだった。しかし、間借り人たちが自分の仕事をしなかったとしても、つまり、床のモップ掛けや、建物の基盤の化粧しっくいから塵を払ったり、アール・ヌーヴォー調のランプや金属製の手すりを磨いたりといった義務を怠ったとしても、ヘドヴィカたちが耐えられなくなって、次の日曜日には、頭にバンダナを巻き、スウェット姿で建物中を這いずり回り、必要なところをすべて元通りにきれいにしてくれると、みんな知っていたのだ。
 「女男爵の労働部隊だよ」と、仕事を押し付けられた隣人たちは、午後のカードゲームパーティーから帰ってきながら、どっと笑った。彼らの妻たちは、顔をしかめてこうつけ足した。「罰が当たったのよ、こうでもしなきゃ、普通の仕事を味わってみることなんてなかっただろうからね。」
 ヘドヴィカも母親も、そのじつ、女男爵などではまったくなかった。男爵の称号が引き継がれたのは、直系の叔父が最後で、叔母が1974年に亡くなったときに、その血筋も完全に途絶えたのだが、間借り人たちはまるでそれを知らないかのようだった。また、彼らは認識しようとしなかったが、チェコスロヴァキア第一共和国の樹立以降、貴族の称号は無効になり、ヘドヴィカ自身の苗字も全く違うものだった。それでも、ヘドヴィカはまるで、マウトニツ家のホールマークを額に刻印されているかのようだった。額ではないとしても、書面上では決定的にその刻印をなされていたのである。というのも、共産党の幹部委員会が、あるときヘドヴィカについて記した一文はこうだった。「自然科学系の高等教育には不適合である。」
 「普通の仕事を味わってみる」機会は、十分にあった――80年代半ばにヘドヴィカを受け入れてくれたのは、農業専修学校iiの園芸学科だけだった。そこを卒業してから雇ってもらえたのは、火葬場だけだった。五年間、葬儀場の花を扱う仕事のほかに、清掃もしたし、椅子を並べることもあった。また、朗唱師の女性と一緒に、棺を台の上に乗せることもあった。これは、ある事務員が火葬人とともにリキュールの瓶を開けるという失態を犯し、次に来た遺族たちが、いらだたし気に扉の前で待っていたときの話だ。そして、革命直後の数年は、倉庫係から、お粗末な報酬の女子寮の夜間警備職――これは、昼の間に大学に通えると考えてのことだった――そして今の郵便配達にいたるまで、様々な職を転々とした。
 そうするよりほかになかったのだ。一族のもとに館が戻ってくると、大学での勉強から離れて、安定した収入を得る必要があった。長年にわたって放置され、洪水による浸水も経た館には、あらゆることが必要だった――時間、大半の持ち金、そしてじゅうぶんな気づかいである。
 そんなわけで、ヘドヴィカの今の一日は、朝の4時ごろに起きて、手紙を仕分けすることから始まるのだった。5時ごろにはプラハ中をハーフマラソンよろしくかけまわって、手紙や郵便為替をポストに投函し、足掛け10キロほど走ったところで、次のシフトに入る。9時ごろからは、掃き掃除やモップ掛けをしたり、労働者たちを統率したりした。そして最も大事なのは、文字通り際限なくこの家が呑み込んでいく資金の融資を、銀行で熱烈に嘆願することだった。
 ヘドヴィカはため息をつき、疲れ切って叔母さんの部屋を見回した。それは、叔母さんと両親とともに子供時代を過ごしたフラットを構成する、二部屋のうちのひとつだった。
 往年のマウトニツ男爵のプライベートフロアだった階は、二世帯分の居住空間に分かれていて、その間に共用のシャワールームとトイレが挟まれていた。この階に、一緒くたに移住させられた――叔母さんとヘドヴィカの両親は、往年の仕事部屋と叔父さんのコレクションの展示室に、役人のクノトカ一家は、サロンと喫煙室だった部屋へと移り住んだ。この割り当てについて、事前に特に何も聞かれることはなかったが、それは当時プラハでは、住居を決めるのに特に交渉などはしないものだったからだ。1948年の共産党政権樹立後も、叔母さんはかろうじて、館の所有権を擁護した。しかし、誰をその家に住まわせるかまでは、叔母さんに左右する権利はなかった。
 こうしてある朝、館の玄関ホールに、ドリルの轟音とハンマーのかんかんという音、大工たちの不機嫌な叫び声が響き渡り、美しく磨き上げられた寄木細工の床とモザイクのタイルの上には、広々とした居住フロアを、「困窮者」のための小さな住まいへと分けてしまうパーテーションが現れたのだという。プラハ城のシルエットとヴルタヴァ川の流れを展望する部屋は、1948年の政変に寄与した人々が、窓が中庭に面した少し小さめの部屋は、政変で暗躍した密告者たちが、獲得した。そして、屋根裏の最上階は、シメク博士によって占有された――冷淡かつ無口で、まるで幽霊のように廊下をさまよっているこの博士が、一体何の博士なのか知る人はいなかった。博士は自分の部屋の鍵のほかに、塔の鍵も所有していた。その塔にある唯一の部屋は、新市街の街並みの屋根よりも遥か高くに位置し、まるで鷲の巣のように、そこから「目」が見降ろしているのであった。
 それは双眼鏡のレンズだった。いつも家に帰るときに、注意深く一つひとつの窓をよく見ている人にとっては、時々ぎらりと反射するその光によって、その存在が露呈していた。その双眼鏡の「目」は、塔のふもとに伸びている川岸の遊歩道で起こる出来事を、手に取るように、快適に監視することができた。その「目」からのがれることができるものは何もなかった。地元の人のどんないかがわしい動きも。また、外国人で、例えば名高い「黄金の礼拝堂」の異名をもつ国民劇場を見に訪れ、言うまでもなく、その近くのカフェ・スラヴィアに集って体制転覆を画策していた反体制派の誰かを一目見に来た人たちの存在も。その「目」が監視できたのは、上から下まで、その棟から数十メートルに過ぎないのだが、思想の面では、数十万光年も離れたところまで監視できたのだ……
 「これ、どうしますか? とっておきますか、それとも捨てますか?」ヘドヴィカの思索は、初老の引っ越し屋の現場監督によって中断された。引っ越し屋は朝から、洪水で浸水した一階と二階を清掃したり、家具を数階上の空いている部屋に移したり、時には建物の前に停めてある貨物用コンテナに、家具を運び出したりしていた。
 あの洪水があったのは、7月の嵐の夜のことだ。川が堤防を越えて氾濫し、水位が地下の物置も、一階も越えて、彼らの住む部屋の窓すれすれまで迫ってきた。この洪水がもし何かいいことをもたらしたとすれば、それは、館の返還の手続きが数週間、もしくは数か月早まったことだ――裁判所の事務員が通達書を持って(そこに書かれていた日付は洪水より前のものだった)彼女のもとに訪れたのは、早くも洪水の翌日だった。そしてそのせいで、望ましくない間借り人たちがまるまる三分の一も出ていく羽目になったというのも、もちろん洪水のおかげである。
 ヘドヴィカはしかし、数々の想定外の出来事に遭遇した。ただでさえ、洪水がなかったとしても、積年の老朽化にさらされ、市の役所に見向きもされなかったこの館を少しずつ補修する費用など、ほとんど持ち合わせていなかった。しかし洪水が起こった後では、泥の堆積した地下の物置も、湿気のたまった一階のしっくいの壁も、壁をつたって住居フロアにまで這い上っているカビも、すべてを一挙に解決せざるを得なくなった。貯金のすべてを――自分の名義も、母の名義も――洪水後最初の数日間で、清掃作業のために使い果たした。補修作業は、数週間でも、数日たりとも、遅らせるわけにはいかなかったが、すでにその費用は残っていなかった。しかし、銀行からすれば、そんなことは関係ないのだった。ヘドヴィカが持ち合わせていたのは、郵便配達で稼いだ、笑ってしまうほどわずかな給料と、年老いた母親、そして浸水した家だけで、融資をするのに十分な担保がなかった。どこへ行っても、こう言って扉を閉ざされた。「その物件は、さっさと手放してしまうことをお勧めしますよ。市場価格より安い値段であっても、売却しておしまいなさい。」
 こんな調子で、ヘドヴィカの銀行での交渉は身を結ばなかった。「すぐに借りれる!」といった文句を謳った闇金融を信じることもせず、かといって友人たちを巻き込む気にもなれなかった。残された選択肢はただひとつ――シメク博士の、厚かましい提案にのることだった。
 しかし、ヘドヴィカはそう考えただけで身の毛がよだった。生まれてこのかた、ヘドヴィカはシメク博士のことを怖がっていた。ここ数年は、建物の返還の件が滞っている裁判所の事務所にまで、彼の魔の手が忍び寄ってきたが、その魔の手との闘いも徒労に終わっていた。そして今になって、相続した遺産の半分を、博士の息子に売却しなければならないなんて? シメク博士が車椅子に深々と腰かけて、付け加えた時の愛想笑いを、ヘドヴィカは思い出した。「なにも、館の共同管理だけにとどまる必要はないんじないかい!」息子のシメク・ジュニアにちょっとでも関することが頭をよぎるだけで――この、ちょうどヘドヴィカの胸の高さくらいの背丈をした、おぞましい怪物は、小太りで、いつも汗をかいていて、会うたびにこちらを無作法にじろじろと見つめてくるのだった――嫌悪で身震いがした。
 「ちょっと、これはどうすればいいですか?」 いらいらしながら、注意を引くためにいくぶん大声で、引っ越し屋が繰り返した。腕には大きな亀の甲羅を抱えていたが、それは、叔父さんのコレクションの中でも売られていないほかの物品と一緒に、長年棚の中で眠っているものだった。しかし、叔父さんの形見に対する敬意から、一家はそれらを捨てることが一度もできなかった。
 「それは、爬虫綱カメ目ウミガメ科タイマイ属に属するタイマイの甲羅です。この絶滅危惧種に指定された生物の標本は、太平洋の珊瑚でできた島で採集されました。タイマイの甲羅で特に興味深いのは、たいへん美しい赤黒い模様のついた、のこぎり状の周縁部です。」ヘドヴィカは、タイマイの腹甲に張り付けられた説明書きに書いてあることを、機械的にまくしたてた。まるで子供のように、ゆっくりと発音しながら、最低千回は繰り返した。
 引っ越し屋は、まるでこれらの情報によって攻撃されたかのようにヘドヴィカを見やって、我慢できないといったように、ぴしゃりと言った。「それで、これはどこにやればいいんですか?」
 ヘドヴィカは、「そうねえ……じゃあ、これも上の階のどこかに置いといてください」と後ろめたげに口ごもりながら、顔が赤くなるのが自分でもわかった。引っ越し屋にどう思われているのかを、大体想像することができた。
 この貴婦人さまは、成金で、川沿いの館が棚から牡丹餅式に降ってきた。それで今ここで、自分たちに説教をたれ、せかし立てている。当の自分たちは、元労働者の中核グループで、つい最近まで、国民の誇りであると新聞やラジオ、テレビで認められてきた。働き者のわれわれは、以前はそれなりの生活必需品や余暇のレクリエーション、車にだって不自由しないくらい、自分の手で稼いでいたのだ。それが今や、民営化事業が浸透するようになってからは、ほんの小金のために、こんな女みたいなのにへこへこするざまだ。こんな、役立たずで、やることもなくぶらぶらしていて、小賢しい、遺産相続人の女たちに――放蕩放題だったその先祖は、まさに自分のような人たちから金を巻き上げることで、プラハの川沿いの物件に手が出るほどの富を築いたんだ。一体このどこに、公平性というものがあるだろうか?
 両方の部屋につながる廊下から、引っ越し屋が家具をひとつずつ運び出しながら、ぶつくさと不満を並び立てる声と、家具がぶつかる音が響いていた。ヘドヴィカは、この粗暴な振る舞いには背を向けて、窓から外を眺めていた。
 カメの甲羅にオコジョのはく製、干しリンゴのようにしなびたカエル。これらは、叔父さんの動物はく製コレクションのうち、叔母さんが、自分の家の中でたった一部屋に追いやられてからも、国立博物館に寄付しなかった、唯一の品たちだった。叔母さんの気前の良さは、このときの逆境においては、好都合に働いた。というのも、何十点もの展示品を含むコレクションは、どんなに願っても、小さな居住空間に収めておくことなど到底できなかったからだ。しかし、国営化された機関はどこも、買い取りを約束することはできなかったので、最終的に叔母さんは――怒りで歯ぎしりをしながら――国立博物館にそれらを寄付し、国の保管庫に葬り去ったのだった。それは、「驚異の部屋ヴンダーカンマーiii」の名でよく知られた叔父さんのコレクションについて、党の上層部で思い描かれた通りの道筋をたどった。
 叔母さんを震え上がらせたのは、コレクションを回収しに来た美術館の職員たちが、貴重な品々の点検に、まったく手間をかけなかったことだ。叔父さんのカタログ目録から叔母さんが移し書きした、詳細な説明書きのついた一覧表は、運搬トラックの座席の下に、ぞんざいに押し込められていた。
 「今、これでどれくらいになるかお分かりですか? 数トンですよ。侯爵夫人、伯爵夫人、男爵の連中が何をかき集めてきたか、チェコスロヴァキアの人民の利益のために、今どれだけのがらくたを仕分けしているところだか、想像もつかないでしょう。」トラックの運転手は、荷台を閉めながらそう言った。この運命的な日まで、叔父さんのサロンの入り口で訪問客を出迎えていたハイイログマの巨大なシルエットが、まるで捕らえられた囚人のように、荷台からつき出していた。それは、首と手足のまわりにロープを括りつけて固定されていた。マグダレナ叔母さんがのちに回想していたが、攻撃のゼスチャーで掲げられたクマの両手が、一度おばさんの方に向かって挙がってきたそうだ。それはまるで、絶望した子供の「その人を信じないで、僕を売らないでよ、家にいさせて――」という嘆き声が、発進していく車の轟音とともに消えていくときの、その手のようだった。
 「心配しないでください、あなたの標本たちは、いいお仲間のところに行くんですよ。」出発する前に、博物館の職員は、叔母にこう呼びかけたそうだ。
 これに関しては、マグダレナ叔母さんは疑っていなかった。当時国が盗み取っていたものの全貌は、想像がついた。むしろ疑っていたのは、新しく獲得した品々を、夫のマウトニツのように、よい管理人として手をかけてくれるかどうか、ということだった。何しろ彼が、アマチュアの動物学者であり、植物学者であり、建築学者でもあり、熱烈な芸術品・様々な珍品の蒐集家でもあったことは、疑いの余地もなかったのだ。
 マウトニツはコレクションの完成に数十年を費やし、家を建てる際には、そのうちの一フロアを、まさにコレクションのためだけに設計した。その家を科学と芸術の美に捧げ、家の中に仕事部屋とサロンを設置した。そのサロンには、当時の著名な科学者や思想家、芸術家たちが集ったものだ。また、その家には「驚異の部屋ヴンダーカンマー」と保管庫も備えられていた。壁には一級品の絵画がかかっており、部屋の中には世界的に有名な彫刻のレプリカがあった。立派な陳列棚には――今ヘドヴィカの左手後方に立っている展示物は、その棚から残っている唯一のものである――好奇心をひどく駆り立てるような、珍しい動物の展示物が鎮座していた。鳩ほどの大きさの巨大な蝶・鱗翅目ヤママユガ科のヨナグニサンは、セイロン島で採集されたものだ。南アメリカで採集された、ヤドクガエルの一種・両生綱無尾目ヤドクガエル科フキヤガエル属のモウドクフキヤガエルは、皮膚の細孔に最も強い猛毒の一種を隠し持っている。そして伝説の鳥・不死鳥の右翼まで……。叔父さんのコレクションは、プラハにあるコレクションの中でも名の知れた秘宝の倉庫であり、あのルドルフ二世にも羨んだと言われている。
 叔母さんがコレクションを手離すことを余儀なくされてから、生涯の終わりまで、マウトニツ男爵から遺された唯一のもの、つまり夫妻の所有していた川沿いの館をめぐって、根気強く闘い続けたのは、不思議なことではない。役所が開示を拒否していた情報を呈示するよう要求し、高給の法律家たちを雇った。かつてのマウトニツ男爵の顧問弁護士で、1948年に職を剥奪されたのち、当時は青果店で見習い労働者をしていたボハーチェク法学博士が、もし叔母さんの側につかなければ、この高給の法律家たちも、彼女の味方はしなかったであろう。ボハーチェク博士の貢献の甲斐あって、当時よくあったように、不動産の管理怠慢を理由に家の所有権を剥奪されないためには、何をしなければならないか、何を保証したり、建物に備え付けたりする必要があるのか、ということを、叔母さんはいつもぎりぎりのタイミングで知ることができた。そしていつも、どこからか宝石だの、骨董品の絵画だの、貴重な花瓶だのを引っ張り出してきては、国営事業「骨董」を通してそれらの品々を、笑ってしまうような、雀の涙ほどのつましい値段で、売りさばくことに成功していた。それでも、こうして必要な資金を集めることができたのである。
 しかしそのせいで、間借り人たちや国家委員会、さらには公安委員会からの注目を逃れることができなかった。ある時から、ヘドヴィカたちの家に、予期せぬ訪問客が次から次へと訪れるようになった。
 「1959年11月7日に1900チェコスロヴァキアコルナで換金したこの絵画は、どうやって手に入れたんですか?」そう叔母さんに尋ねたのは、灰色のトレンチコートを着た男たちで、毎回違う名前を名乗っていたという。
 「夫が遺したものをほかにもいくつか見つけたんですけどね、ご覧のように、引っ越しの後で散らかってるもんですから、夫が何を所有してたのか、いまだに全貌がつかめてないんですよ。」叔母はそう言って、彼らの目の前で、丁寧に記された家計簿を広げたそうだ。
 男たちは、色々と質問をしたり、物品を点検したり、時には家宅捜索の許可証を持ってきて、地下と屋根裏の倉庫を嗅ぎまわったが、これといったものは何も見当たらなかった。彼らが見つけたものと言えば、壁にかかっている安物の金属製のオーナメントや、一族の肖像画、叔母さんのベッドの上にかかっている館の絵、骨董の家具くらいであった。これらは、役所で所有を確認され、承認されたものたちだった。
 プラハをロシアの連中が占領するときまでは、この男たちもこの程度で満足していたそうだ。
 しかし、館の目の前、ちょうど今ヘドヴィカが窓から見下ろしている位置に、二台の戦車がどっかりと腰を下ろしてからは、男たちの訪問が、周到に準備され、恐怖と脅迫に満ちた地獄沙汰へと変貌した。
 ヘドヴィカは、川沿いの遊歩道が国民劇場の前にある小さな空き地まで伸びているこの場所から、目を離すことができなかった。
 今日ヘドヴィカの前に立ち現れている光景は、絵のようにのどかだった。午後の太陽は、すでにプラハ城の上に差し掛かっていて、ヴルタヴァ川の表面に反射していた。ヴルタヴァ川は、再びもとの水路に沿ってゆるやかに流れており、まるで、初秋の様々な色彩をやどした並木道に沿った川岸を、離れがたいかのようだった。その光景は、30年前の夏の終わりの写真からヘドヴィカが知っているその場所とは、まったく違って見えた。それらの、小さくて少しぼやけた、白黒の写真のおかげで、また、父が定期的に語ってくれた回想のおかげで――その回想は、ヘドヴィカの誕生日パーティーに欠かせない定番だった――その出来事に、ヘドヴィカ自身、はっきりと物心ついて参加したかのような気がしていた。
 1968年8月21日に先立つこの夜、生まれたばかりのヘドヴィカと母親を産院へ迎えに行く予定だった父も、マグダレナ叔母さんも、眠りにつくことができなかった。まるで魔法にかけられたように通りを見下ろし、息を凝らしてラジオに耳を傾けていた。ラジオでは、エンドレスループで次のような声明が繰り返されていた。「昨日8月20日23時ごろ、ソヴィエト社会主義連邦共和国、ポーランド人民共和国、ハンガリー人民共和国、ブルガリア人民共和国の軍隊が、チェコスロヴァキア社会主義共和国の国境を侵略しました。この侵略は、共和国大統領、国民議会の常任幹部会、チェコスロヴァキア共産党中央委員会第一書記への通達なく行われました。政府上層部はこの行為を、社会主義国家間の関係に関する基礎的な原則に反するだけでなく、国際法の根本的な規則への抵触であると見なします。……しかし、すべての共和国市民に対して呼びかけます。冷静さを保ち、侵略軍への抵抗を加えないでください。国境の維持は、現段階では不可能なのです……」
 二人ともこのとき、言葉を発することもなく、一晩中目を覚ましていた。明け方に、岸辺に波のようになだれこむ装甲人員運搬車の大群と、年若いロシア兵たちを荷台に載せたトラックを見ると、叔母さんはこう言った。
 「これでもうおしまいだわ。」そう言った叔母さんの声は、それぞれの単語の途中で折れてしまいそうだった。そして、叔母さんは正しかった。少なくとも、マウトニツ一族に関する限りでは。
 もっともヘドヴィカにとっては、ちょうどこれが始まりの日だった。この日の朝に、ヘドヴィカは初めて、一家の住む家にやって来たのだ。この一大事に際してヘドヴィカに敬礼をしたのは、フォトアルバムの最初のほうの写真から明らかなように、一家の住まいの窓に向かって銃口を掲げた、大半がロシアの戦車の、銃砲身だった。父が写真を撮るときの困惑は明らかだった。先に写真に撮るべきなのは、新生児か、それともロシア兵たちに罵声をあびせかける大群か。また、カメラのファインダーを向けるべきなのは、怒りに満ちたプラハ市民たちの顔なのか、それとも、まだ若造といった雰囲気の赤軍兵たちの、神経がはち切れそうなくらい緊張でこわばった、困惑した顔なのか。あとほんの少しで、事の成り行きすべてが大虐殺に変わってしまうところだった。ほんの少しで、注意力に欠け、頭に血の登ったイワン何某とかいう兵士が、鉄製の戦車の胴部の中で、何かのボタンを押して、一撃を発射してもおかしくなかった。その一撃が、ヘドヴィカたち一家の家の窓を通過して、彼らのささやかな喜びも、長く続いていたマグダレナ叔母さんの抵抗も、永遠に黙殺してしまうところだった。この日は結局、起爆装置が爆発することはまだなかったし、いかなる惨禍もまだ起きていなかった――しかし、惨禍が起こるのには、それほど時を要さなかった。
 まず、母が産休から仕事に呼び戻された。母は、マグダレナ叔母さんの貴族階級の出自のせいで、設計事務所の職から、寒々しいねじ倉庫での勤務に異動させられた。それからほどなくして、父が解雇された。父を雇ってくれたのは、クラドノの製鉄工場よりほかになかった。父はそこから帰ってくるたびに、やせ衰え、背筋が曲がっていった。月を追うごとにみるみるとやつれていき、ついにはある日、帰って来なくなった。呼吸困難に襲われ、溶鉱炉に落下したのだ。父のせいで工場の生産は一時停止したが、溶鉱炉ができる限り急速に冷却されたとはいえ、その中からは、当たり前だが、何も見つからなかった。こうして、製鉄所からは一家のもとに、象徴的な鉄くずの入った袋が送られてきて、工場長からの手紙がついていた。手紙には、工場長からのたった一文のお悔やみの言葉のほか、「父の不注意による事故が、サボタージュだと判明した場合には、一家に対して、工場の生産停止によってチェコスロヴァキア国民が損失させられた分の代償が要求される」という脅迫が記されていた。
 それだけでは済まなかった。その一年後に、マグダレナ叔母さんが、地下へ続く階段の下で横たわっているのを発見された。叔母さんの年齢に鑑みて――当時もう90歳に近かった――医者は、叔母さんの傍らに投げ出された杖を示しながら、不運な事故のせいだと結論付けた。首や腕に残された傷跡も、恐怖に見開かれた目も、だれもとりたてて調べようとはしなかった。
 ヘドヴィカはこの光景を、今に至るまで忘れられないでいる。当時6歳のヘドヴィカは、大人たちの間に立って、叔母さんの飛び出した眼球と、恐怖に歪んだ口、そして、彼女の知っていた、優し気な面影――しわが寄ったその顔は、いつもきっちりと整えられた、やわらかな白髪に縁どられていた――とは、似てもつかないその顔を見つめた。
 「叔母さんは、気品があって、それに教養のある女性なのよ」と母はヘドヴィカによく言っていた。「叔母さんの言うことをよく聞いて、いろんなことを教えてもらいなさい。」
 言語にエチケット、博物学。
 これらはすべて、ヘドヴィカが叔母さんから習うべきものだった。しかし、二人の背後で部屋のドアを閉めた途端、叔母さんはヘドヴィカに、まるでスパイの目配せでもするようにウィンクし、ベッドの下から、大きな箱にしまわれた子供用の劇場セットを引っ張り出してきた。両親が友人たちと過ごしている日曜日の午後いっぱい、ヘドヴィカは、叔母さんの年季の入ったベッドのヘッドボードを背景に、縦横にかけまわるマリオネットをずっと眺めていた。
 「むかしむかしあるところに、マウトニツという男爵がいました。」ヘドヴィカのお気に入りのお話のひとつが始まった。「男爵は、ある日ナープルステク博物館から招待を受けました。男爵の動物の珍品コレクションについて、『プラハ・アメリカ夫人倶楽部』の奥様方、お嬢様方に、講義をすることになりました。そのうちのひとりの女の子は、孤児となってナープルステク氏のもとにある時引き取られ、その後博物館のコレクション分類を担当していました。女の子はマウトニツ男爵に、鋭くて、博識な質問を投げかけました。これらの質問こそ、男爵が彼女の目をもっと深くまで見つめるきっかけになったのです……」
 確かに、その目こそが、男爵を叔母さんに惹きつけた一番のものだった。
 ヘドヴィカは、窓のところから、部屋の壁全体を覆いつくしている壮大な陳列棚のほうへ移動した。かつては叔父さんのコレクションの展示ケースだったが、今は本棚になっていた。その本棚からちょうど、引っ越し屋の一人の若者が――「I love USA」と印字されたTシャツを着て、脂ぎった長髪が背中に波打っていた――本を一列ずつ取り出しては、次々と用意された箱にしまいこんでいた。ヘドヴィカは、ひとつの段の真ん中に置かれた、額縁に入った結婚写真を見つめた。この色褪せた二枚組の写真は、1908年の新婚のマウトニツ夫妻のものだ。そこに映っているのは、頭頂部が少し禿げかかっているが、豊かなほおひげを生やし、羽振りのよさそうな厚ぼったい唇をした初老のダンディーな男性、そしてその隣に、うら若い、二十歳になるかならないかで、少年のような特徴を持ち、髪をきつくお団子にまとめた少女だった。少女の顔は素朴で、飾りっ気がなかったが、その顔で唯一人を惹きつける要素は、物事をよく観察して熟考する、生き生きとした目だった。
 ヴォイタ&ヨゼフカ・ナープルステク夫妻の孤児院に暮らす女の子だった、ヘドヴィカの叔母さんに、裕福で尊厳あるマウトニツ男爵は、何を見出したのだろうか? そうヘドヴィカは自分のなかで、何百回も問いかけた。叔母さんの若さに目がくらんだのだろうか? それとも、博物学の百科事典のごとき知識や、健全で率直な理性、冷静な性格が、男爵の興味を引いたのだろうか? 理由がどんなものであろうと、男爵は、館の完成からほどなくして、叔母さんをそこへ呼び寄せた。二人の不釣り合いな結婚は、君主制下の化石化した道徳観に縛られた、誉れ高い市民たちの間で、悪い噂の種になったが、そんなこともお構いなしだった。むしろその分だけ、チェコ愛国派の人々には祝福された。彼らが褒めたたえたのは、持参金もない孤児の花嫁を寛容にも受け入れた、男爵の心根の優しさと、先進性である。なにしろ叔母さんは当時、プラハでもっとも自由主義的で、教養のある若い女性のひとりと見なされていたのだ。
 「それはとてもモダンな夫婦関係でした。うら若い女の子は、年をとっていく研究者のよき妻となっただけでなく、かけがえのない仕事の相方となったのでした。彼女のおかげで男爵は、たいへん幅広い内容をもつコレクションを整理したり、外国の動物相に関する研究書を出版したりすることができたのです……」おとぎ話のマリオネットは、どんどん話を続けた。「ともに行った研究は、二人の間に恵まれなかった子供の代わりにもなりました。もしも男爵が、自分の研究のために旅立ったアフリカの原生林で、ある日消息を絶つことがなければ、二人はその寿命が尽きるまで、幸せに暮らしたことでしょう。」ヘドヴィカは心の中で、いつも物語の終わりに、マリオネットたちと一緒に読み上げていた一文を思い出した。
 ヘドヴィカは、ガラスの割れる音で、思索から引き戻された。ほんの少し前まで棚の中に立てかけられていた写真は、今や床の上で、ガラスの破片の真ん中にあった。
 「ちゃんと気をつけてください!」少し遅れてヘドヴィカは、金切り声で言った。
 しかし当の若者は、謝るどころか、にやりと笑った。「こんなの、なんてことありませんよ、奥さんマダム」そういって、写真を箱の中におさめながら、こう付け加えた。「それにね――物が割れると、幸せが訪れるんですよ!」
 ヘドヴィカには、この若者の「奥さんマダム」という呼び方には、「女男爵」という、間借り人たちがいつまでたっても浴びせかけてくる呼び方のような――もっとも、このところさらにその度合いは増していた――嘲笑の響きは、まったく感じられなかった。それに――幸せこそ、いまヘドヴィカが真に必要としているものだったのだ。

 少し経つ頃には、本棚は空っぽだった。大きな陳列棚は、突然裸にさせられたかのように、ぽつんと立っていた。すでに隣の部屋を片付けた引っ越し屋たちは、最後に残った家具を、今度はヘドヴィカたちの部屋からも運び出していた。彼らの足音は、がらんどうな部屋中に、まるで洞窟の中のように響き渡った。
 「この絵はここから外して、壁に立てかけておくだけで結構です。これは私が持っていきます。」作業員のうちの一人が、叔母さんのベッドの上に掛かっている館の肖像画も外そうとしたのを見て、ヘドヴィカはそう言った。家族の一員のような、館の肖像画。全世界の中心のような、館の肖像画。
 「じゃあ、これで全部のはずです。フロア全体が片付きましたよ。」不機嫌そうな引っ越し屋の現場監督が、最後にヘドヴィカにこう告げた。彼の言葉は、しばらくの間、空っぽの空間で振動していた。
 「全部まとめて上の階に置いてあります。印のついていたものは、ごみ集積所に持ってきますね。合計金額はこちらになります。」引っ越し屋はこう言って、ヘドヴィカに冷たいまなざしを向けた。この時、ヘドヴィカがどこからか、丸まった5000コルナ札を何枚か取り出して、「お釣りはいりません」とでもいうような素っ気ない仕草で、そのうちの一枚をよこしてくれるだろう、と引っ越し屋が思っているのは明らかだった。
 しかし、ヘドヴィカはそんなことをするかわりに、財布を開いて、事前に合意した金額をきっかり数えた。もし引っ越し屋がこれほど感じが悪くなくて、チップに値する仕事をしてくれたとしても、ヘドヴィカは彼にあげるものを、何も持ち合わせていなかった。
 屋敷の所有者なのに、こんなふうにけちけちするなんて――引っ越し屋が紙幣をポケットにしまうとき、その顔に軽蔑の色がさっと走るのを、ヘドヴィカは見逃さなかった。そして彼はくるりと背を向け、挨拶もなく去っていった。
 ヘドヴィカはきまりが悪かった。しかし、空っぽの財布を見つめる方が、もっと心が痛んだ。
 究極の状況に立たされる瞬間が、まさにやってきたのだ。明日の朝、壁修理の人が来るのに、彼らに払うお金が一銭もない。いまや実際に残された道は、屋根裏に登って行って、塔にある部屋のインターホンを鳴らし、シメク博士の不愉快な提案にのる以外に、まったくなかった。そう考えてみるだけで、胸が締め付けられるのを感じ、まるで、この館がこの間ヴルタヴァ川のなかに沈んでいったのと同じように、ヘドヴィカもその感情の中で、溺れていくのだった。
 「人生で何か悪いことが起こったら、この絵をごらんなさい。」叔母さんはヘドヴィカによく言ったものだ。「これはあなたのおうちよ、この世界の中の、あなたの居場所なの。このおうちはね、マウトニツ男爵一族に残された、唯一のものなのよ。いつか、あなたのものになるわ。そうしたらね、よーくおうちを大事にするのよ、そうすれば、おうちもあなたを守ってくれるから。」
 ヘドヴィカだって、館をきちんと手入れする意志は本当にあった。それはおばさんのためでも、母のためでもあった。母は、叔母さんから遺言で引き継いだマウトニツ家の館をきちんと維持できなかったと、何年ものあいだ自責の念に駆られていた。すでに最初の契機があったときに――それはエレベーターの設置が義務化されたときだ――館は没収されてしまった。「改修工事の際に、1215コルナ分の未払いが発生し、期日までの支払いが執行されなかったため、当該の不動産は国家の所有に移行する」と公式な通達がなされたとき、母はこの一件のせいで何日も夜を泣き明かした。誰にいくら支払わなかったのか、母には全くもってわからなかった。改修工事は国家委員会が管理しており、送られてきた請求書の分は、すべてきっちりと、一銭も残さず支払っていたのだ。その、母が一度も手にしたことのない、最後の請求書を除いては。
 「この家にはこんなに苦労させられてきたんだから、もうそろそろ恩返しされてもいい頃じゃないかしら。」ヘドヴィカはため息をつくと、壁から降ろされ、床に立てかけてある絵のところへしゃがみこんだ。
 青一色に塗られた空とは対照的に、その絵の中でそびえたつ館は、詳細なディテールが丹念に描きこまれていた。花を編み込んだ装飾、バルコニーの手すりを彩る石造の装飾、実物とまったく同じように、ひとつとして同じもののない、それぞれの窓。ヘドヴィカは、ひとつの階から次の階へ、ひとつの窓から次の窓へと、順々に眺めていた。すると、突然驚きで目がとまった。ポケットからハンカチを取り出し、慎重に、軽いタッチで、絵の表面にたまっていた埃を拭い去った。そしてかがみこみ、キャンバスからほんの数センチまで目を近づけて、注意深く観察した。そこには本当に――叔父さんの居住スペースだった階、まさに今ヘドヴィカがいるのと同じ階の、窓際に人が立っていた。それは、ごく小さくて、細い筆の先っぽで描かれた、見覚えのある特徴をした若い男性の人影だった。ガラスを通して彼女を見つめていたその人影は、赤い頬をして、ふさふさと豊かな黒髪を生やし(結婚写真ではすでに、この豊かな黒髪は額から後退し、頭頂部のまわりに、白い輪っかが冠のように残っているだけになっていた)、ロマン派の詩人のようにスカーフを結んで、ぴたっとした暗いワインレッドのジャケットを着ていた。まったく疑いの余地なく、それはマウトニツ男爵だった。
 しかし、どこから彼女を見つめていたのだろう? ヘドヴィカはびっくりして、部屋中を見回した。部屋に明かりが差し込んでいるのは、たった一つの窓からだけだった。
 もう一度、絵をじっくりと観察した。
 この絵によると、今いる階の一番端の部屋に、窓は二つあるはずなのは、疑いがなかった。
 そのすぐ後に、小春日和のあたたかなそよ風が部屋の中へ入ってきた――大気には、近くを流れる川の水と、最初に腐植し始めた葉っぱのにおいが漂っていた――ヘドヴィカは窓の敷居に、体操の平行棒の選手よろしく寄りかかって、落ちそうになるまで身を乗り出した。館の前面の外観から何が見えるのか、気になった。
 すると、室内で、壁一面に広がる巨大な本棚が占領しているスペースには、外から見ると本当に、二つ目の窓があったのだ。

 それは数時間を要した。
 ヘドヴィカは何度か、もうあきらめようかと思った。次の日に斧をもってきて、本棚のどこかにそれを差し込んで、向こう側の壁まで貫通させようか、と考えた。しかしやがて、棚のひとつの段の下に隠された取っ手を、手探りで見つけた。それは実に巧妙な作りで、移動用のレバーにくっついていた。レバーはちょっと触れるだけで、まるで誰かが昨日最後に使ったかのように、滑らかに動いた。本棚の一部が、備え付けられている棚ごと、ヘドヴィカの目の前で左右に開いた。そして、ちょうど大人一人が通れるほどの広さと高さのある通路が現れた。
 ヘドヴィカは一瞬ためらったが、ゆっくりと、慎重に足を踏み入れた。
 この薄暗い部屋で最初に驚いたことは、乾いた、老朽化と腐敗がしみこんだ臭いだった。あまりにもすごい勢いでその臭いが鼻に直撃したので、思わずヘドヴィカは、さっと手を顔の方に引き寄せた。しかしその直後、ドアを手探りで探し、新鮮な空気が部屋に入るように、ドアを開け放った。空気と一緒に、光もさっきより差し込んできて、目の前に小さな部屋が露わになった。そこには床から天井まで、ありとあらゆる物品、絵画、彫刻、家具が、ぎっしりと並んでいた。部屋の一番奥には、ベッドが見えた。その上には、アルファベットが一文字ずつふられた様々な大きさの箱が、きっちりと並んでいた。ベッドの隣には揺り椅子があり、その上には、一見しわくちゃにまとめられた服の山のように見える何かが置いてあった。よく目を凝らしてみると、様子がよく見えた――そのかたまりから、完全に乾燥してしわの寄った頭が突き出していたが、その顔は、うつろな目をし、顎が外れて、恐怖にかっと開かれた咽頭が露出していた。カーキ色のジャケットの袖から、揺り椅子の背もたれに括りつけられた、骨ばった手が突き出ていた。瘦せ細ったかかとの、しなびた皮膚に覆われた関節に、頑丈な旅行靴がかかっていた。
 ヘドヴィカは金切り声をあげ、飛びのくと、背後に壁をなしている本棚に、肩が勢いよくぶつかった。鉄のスパイクのついた長いベルトが、がしゃんという音をたてて床に落ち、そのまわりにかさかさと小さな音をたてながら、写真や新聞の切り抜きが落ちてきた。これは一体、なんなのか――ミイラ? そして、いま少し状態を損ねてしまった、この奇妙な展示は、一体何を意味するのか?
 心臓が荒く脈打った状態で、ヘドヴィカは、故人から揺り椅子の方に視線を移した。同時に、負傷した肩をさすり、本棚の裏側に蜘蛛の巣のように広がるコラージュを眺めた。コラージュは、革のベルトや鞭といった、独特なもので構成されていた。ドアの近くに打ち付けられた釘にはハンカチがかかっており、その間には、雑誌の切り抜きや、カレンダーから切り取られた色とりどりの絵、また、いまヘドヴィカが立っている部屋の中で撮られたのが一目で分かる、アマチュアの白黒写真などが、固定されていた。その写真に写っていたのは、若い裸の青年たちで、いくつかの写真では、よく考え抜かれた、ありとあらゆるグループ分けをされていた――それは、紐で互いにつながれた馬車馬の群れのようでもあったし、犬の群れのようでもあった。ほかの写真では、青年たちの性器の細部が、拡大されて写されていた。それらすべての、グループ分けされた青年たちを牛耳っていたのは、裸で、小さな装飾具を身に着け、手に鞭を持ったマウトニツ男爵の姿だった。
 「びっくりした!」ヘドヴィカは、衝撃のあまり、聞こえるか聞こえないかの小さな声で言った。今目にしたものは、揺り椅子に座らされたミイラよりもさらに、ヘドヴィカを唖然とさせた。
 ヘドヴィカは驚きに包まれて、もう一度この独特な巣窟を見回した。マウトニツ男爵一族の物語で、日曜日のマリオネット劇場では一度も言及されなかった、知られざる一章が見つかったのだ、ということがゆっくりと分かってきた。この、世間から隠れたところで、一体何が起こったのだろう? マウトニツ夫妻は、一体どんな秘密を抱えていたのだろう? ヘドヴィカはあれこれと考えあぐねた。
 そして、半透明の紙をみっちりと貼られた窓の下にある、小さな書き物机に視線が落ちた。その上には、同じような雑誌の切り抜きが散らばっており、まるでソリティアのように、また別の白黒写真たちが並べられていた。そしてそれらの上にノートがあった。ノートはちょうど椅子の真ん前に、すぐに開いてペンを取り、書き始められるような位置に置かれていた。
 ヘドヴィカはためらいながら、数歩机の方へ近づき、震えながらノートを開いた。

1925年9月10日
彼の葬式の後。まったくの滑稽劇だこと! 遺体の入っていない棺に、哀悼のかけらもない、唯一の遺族。哀悼! 笑っちゃうわ! 胸のむかつきと嫌悪感、それこそ葬式のあいだ、私の顔を歪ませたものであって、こらえた涙なんてものじゃあなかった。これ以上作り物の表情をしなくていいように、あえてみんなを避けている。使用人には、私が一人哀しみに沈んでいるのを邪魔しないように言いつけたし、面会に訪ねてきた人が自己紹介を始めるすきもないうちに、訪問を断った。「男爵夫人は誰も迎え入れないわ」「入口の扉のところから、従僕の悲劇的な叫び声がしている」「喪に服しているんだよ」なんて声が聞こえてくる……。こうしてようやく今になって、考えを整理する時間ができた――まったく、この数日は本当に日々が一瞬で過ぎていった!
まずは――私は何も後悔していない。
彼の死は――あの蛙のおかげで早く済んだし、苦しみも少なかったようだ――私にとっては解放なのだ。私の眠りを妨げるような罪悪感など皆無だ、何しろ彼は、それに値する仕打ちを受けたのだから! こんなにちんけな夫の跡継ぎなんて、どうして私に作れるっていうのだろう。私にはほとんど見向きもしないくせに、自分の巣窟に近所の男の子たち、ましてうちの使用人まで、連れ込むほうがいいなんて輩のために? 私に浴びせかけてきたすべての罵詈雑言の報復に、地獄の火で焼かれてしまえばいいんだ、この好色漢め、焼かれちまえ!
そして第二に――この事実には誰もたどり着けないだろう。ボハーチェク法学博士は、アフリカでの使命を完璧に遂行したし、彼が未開地から送ってきた便りに関して、この地からは、どんなに試みたところで、その内容の真偽を確かめることなど誰にもできなかったのだ。そして、領事の判子を信じない人などいるだろうか? 書類に判子が押されるやいなや、こうして承認された知らせを疑う人など、ここでは見つけることができないだろう。望みはまったくありません、とその書類には書かれていた。こうして、役所の事務員たちもこれを甘受し、男爵の死が宣告された――そして私の人生が、やっと始まることができるのだ!
もう私は、配偶者の残虐な行為をおとなしく見過ごす、従順な妻ではないのだ。もう、ただの訓練されたプードルでも、歩くファイル箱でも、しがない鞄持ちでもないのだ――次の研究書にはもう私の名前が載って、この世界にこう知らしめるのだ、実は私が……

 ヘドヴィカは、興奮で体が震えた。
 マウトニツ一族の物語が、ヘドヴィカの前で、突然まったく違った姿で現れた。叔父さんのミイラは――それは叔父さんの所有する動物標本のコレクションの中でも、もっとも異様な展示物だった――部屋の隅からヘドヴィカを見つめていたが、もう少しも彼女を恐怖に駆り立てることはなかった。叔母さんの日記のページにふたたび戻ったとき、「彼は、それに値する仕打ちを受けたのだ」という言葉がヘドヴィカの頭の中でこだました。
 書き込みはそんなに多くはなかった。叔母さんは、たまにしか日記をつけていなかったようだった――もしかしたら、館の国有化を防ぐ手段として、売却する何かの貴重品を取るために、この部屋に立ち寄ったときにだけ、書きつけていたのかもしれない。それほどページをめくらなくても、最後まで読むことができた。

1974年1月17日
シメクはまた、何かを探し回っていた。彼が何かを嗅ぎつけていることは知っているし、私がそれを知っていることも、彼は知っている。でも、彼は何も見つけられないだろう。この隠れ処をつきとめるのは至難の業だし、私が生きているうちは、シメクがここまでたどり着くチャンスはないだろう。いつも間一髪のところで館の所有権を守ってくれている物品たちを、どこから私が持ってきているのか、ということに、いつまでも首をひねっているがいい。私を脅すがいい、階段の上の、くぼみのある場所で私を待ち伏せするがいい。そうして、ただただ骨折り損をし続けるがいい。――私からは何も得ることはできない、たとえ私をその階段から突き落としたとしても。できる限りのことを、ヘドヴィカに伝えてあげようと、私はまた努めている――この館の秘密に、子供時代を通して詳しくなりがら、それを誰かに漏らすことなく、本当に必要になったときにだけ思い出すことができるように。ヘドヴィカ、この子は不幸なマウトニツ一族の未来。ヘドヴィカ、鋭い目をして、心の開けた子。この子こそ、私が始めたばかりのことを、いつの日かやりとげてくれる。コレクションを取り戻して、私の研究を出版してくれる。故男爵を狂信的に崇拝していた、学術専門家のお友達連中が、その著作権を認めたがらなかった、私の研究を。マウトニツ一族のこの家に、公正と秩序を回復させてくれる。ヘドヴィカ、あの子だけが、その力がある……

1998年3月31日
前の日記の続きを書くのに、1年半もかかってしまった。でも、ようやく私たちの念願が叶ったのだ。館はまるで新築のようで、すべてが元の状態に戻った。絵具屋があった階下には、展示ホールを設けた。展示の名前は「マウトニツ男爵夫人の生涯と作品」だ。オープニングパーティーには、大勢の人が訪れた――近所の人から、まったく面識のない人々、ましてメディアに至るまで。上の階からは、あのシメク博士まで降りてきた。車いすに身をよじっておさまり、まるで腐ったジャガイモのようにしわの寄った顔で、その目はまるで稲妻を発しているかのようだった――展示品の並んだ壁や、私のほうに向かって。それでも熱烈な調子で、あたかもマウトニツ家の繁栄以外に何も望んだことがないかのように、私に祝辞を並べ立てた。そして、私は同じくらい心のこもった微笑みで、博士にワインを一杯勧め、怒りで狭まったその喉が、最後の一口を飲み干すまで待ってから、博士に近づいて、こう囁いた。「おたくはどうしてそんなに間抜けなんですか? だって、こんなに簡単なことなのに!」
息をぜいぜいさせながら、博士の口元をついて出た罵りの言葉は、私を活気づかせたが、訪れた客たちは反対に憤慨していた。その中には、あのおぞましい怪物シメク・ジュニアがいた。彼は戦慄して、車いすをエレベーターのほうへ切り返していった。「今に見ているがいい!」二人の背後でドアが閉まる前に、こう脅した。
 この脅迫が遂行されるチャンスはもうないのではないかと、私は懸念している。ヤドクガエルの魔力は、もしかしたら経年で少し弱まったかもしれないが、シメク博士の心臓も然りである。翌日にはすでに、心臓発作でシメク博士が衰弱しているという知らせが、住人の間で持ち切りだった。けれども、博士の年ならだれも驚くことはない……
 この日の夜を、愛する叔母さんだったら、きっと楽しんでくれたでしょう。
  1. オーストリアの芸術家、画家、建築家であるフリーデンスライヒ・レーゲンターク・ドゥンケルブント・フンデルトヴァッサー(1928-2000)。苗字の本名は「Stowasser(シュトーヴァッサー)」で、「Sto(スト)」はチェコ語で「百」を意味する。
  2. 9年間の初等教育を終えたのちの、2~3年間の中等教育に値する。
  3. 15~18世紀のヨーロッパで、貴族や学者たちの間でこぞって作られた、様々な珍品を集めた展示室。人工物から自然物までその内容は多岐にわたり、いくつかは今日の博物館の前身となった。