ヨーロッパへの窓

★★★★★★

Windows to Europe

ベルギーベルギー(オランダ語)

架空の手帳

Het Onbestaande Handboek

サスキア・デ・コステル

Saskia de Coster

Saskia de Coster(b. 1976) is an artist, playwright and regular participant in television debates, but above all she the author of a unique literary oeuvre. Her family chronicle We and Me became a bestseller and was nominated for just about every Dutch-language book award there is. The more personal and semi-autobiographical Night Parents is an ode to love and non-biological parenthood. Characteristic of De Coster’s oeuvre are the striking images and profound stories. Most of her novels have been or are being translated.

サスキア・デ・コステル(1976年生まれ)は芸術家、劇作家、テレビの討論番組のレギュラー出演者であると同時に、独特な作風で知られる作家である。家族の歴史を扱った We and Me はベストセラーとなり、オランダ語文学のあらゆる賞にノミネートされた。より私的な半自伝的作品 Night Parents は、愛を、そして血のつながりのない親子関係を賛美した作品。印象的な情景描写と深遠な物語を特徴とするデ・コステルの小説のほとんどが他言語に翻訳されているか、現在翻訳中である。

サスキア・デ・コステル
井内千紗 訳

架空の手帳
 ある時、サウルの頭に耳が縫い付けられたような、生々しいすじ傷を見つけた。一体誰が手を出し、耳を引っぱったのか。ショックを受けたまま救急治療室へと向かっていると、傷口に人食いバクテリアが入り込んだ。瞬く間に赤ん坊の身体を蝕む、とどこかで読んだことがあった。医者がサウルを見ようと前かがみになり、乾燥肌用のベタベタとしたクリームを処方したとたん、バクテリアはあっという間に消え去った。
 彼女には何もわからない。
 ひとまず、目の前にある大抵のことに疑念を抱いている。自分が赤ん坊だった頃のことなど、もう覚えてないからだ。おすわりをした赤ん坊がボウリングピンのようにコロンと転倒すれば、脳に損傷を負わせるかどうか、ということもわからない。
 彼女にはわからない。もう一年がたつというのに、何も学習してない。
 <おかあさんが書こうとしない架空の手帳(そもそもおかあさんにはそんなもの、書くひまがない)>には、きっと一年もたてば、ひと息つく間も持てると書いてある。標準では。このことばは頻繁に現れる。――標準では。
 そしてきっと、子どもは標準では身長50センチ、頭囲35センチになっているはずと書いてある。生後八ヶ月になると、指をピンセットのように使えるはず、とも書いてあるだろう。サウルにはそれができなかった。手帳には、その場合でもあわてるな、と書いてある。それを読んだとたん、標準から逸脱していることを受け入れなければならない。もしくは、少なくとも、その逸脱を甘んじて受け入れようとする。とにかく、あわてないことだ。
 もし、誰かからあわてることはない、と言われたとしても、その否定の部分を聞かずに、ただ、あわてる、という言葉だけが耳に入ってしまう。そして自分の母親のことを思い出す。昔エレベーターで、皆が静かにドアの上で次々変わる数字をじっと見つめるなか、母はただ一人、あわてふためいて声を上げていた。おちつきなさい!あわてないで、あなたたち!もう出るから!

 あわてないで!もう出るから!
 サウルは九ヶ月の間、絶えず小さくなる住まいの中でそんなことを考えていたのだろうか。ユーリにしてみたら、自分の体に家を作って九ヶ月も過ごすのは最悪のできごとだったに違いない。窮屈ながら、小さな住人に必要な設備はなんでもそろうよう完全にしつらえた家。愛情で彼を閉じ込めるわけだが、すると、予告もなく彼は突然扉をたたく。そして堂々と体を占有するその小さなパラサイトは、もう出ると言い出し、外へ出るために何かしらを壊して道を作るが、出口が狭すぎることにあわてる。これでは出られないと言って…。
 でも、サウルにはあわてる時間がなかったかもしれない。帝王切開で生まれたからだ。逆子だったのである。世界を直視してご満悦の様子だった。出産予定日から逆算して一週間前、帝王切開の予定はきちんと決まっていた。
 その前日、ユーリとサスキアは家にいた。ユーリは落ちつかなかった。臨月だからというわけではない。スーツケースの荷造りに手をつけていた。九ヶ月近くが経過して、突如、サスキアは子どもが自分の愛する人のお腹の中での生活を終え、この家にやってくることを実感した。二人の家に。これからは自分に役割が与えられる、ということも実感した。でも具体的にどういう役割か、ということまではまだはっきりしてなかった。翌日病院で対面しようとしているちっちゃな赤ん坊がいる。約束どおり。突如、彼女は巣作りの衝動に駆られた。とりつかれたように、サスキアは家を掃除しはじめた。レンジフードの油汚れを落とし、幅木のほこりを取り、棚を移動した。屋上の花びらを掃除機で吸い取っていたところで、ユーリが止めに入った。
 サウルが生まれた日、新聞の一面は選挙で極右政党が再び大躍進したことを大々的に伝えていたが、サスキアはこう考える。寛容さは、候補者名簿を見て投じる一票以外でこそ示せる。誕生を知らせるメッセージを書いた病室の窓を通して、外の世界が光を差し込み、皆を見下ろしている。しばらく前、フランスでは百万人の群衆による同性婚反対のデモがあった。人々は声高に叫んでいた。記者の取材に答えた人たちは、どの子どもにも父親と母親を持つ権利がある、と口をそろえて言っていた。そうよ、とサスキアは笑う。その通り。私は父親になろうとしていて、ユーリは見るからに母親だ。でも、どうやって突然、一瞬にして父親がわりになれるというのか。胸のない父親と胸のある父親の間、生物学的につながりのある父親とつながりのない父親の間には、違いがあるのだろうか?あわてるな、と彼女は自分に言い聞かせる。すると、体から汗が吹き出す。
 こうして四方壁に囲われ、小心者の腕の中に小さく振動する心を持つ坊やがいる。うまれたてのひよこのようで、九ヶ月近く過ごしたゆりかごの皮膜や羊水のにおいがするが、今こうして腕の中にいる。
 まっさらで一点のシミもない小さな体が、この世の喧騒に投げ込まれ、すべての不安やゆがみを真っ向から受け止める。滑稽なアドバイスで伝えようとしているあれこれ、スフレのようにふんわりと軽い知恵、サワードウパンのようなリアル、ここにいる小さなボスをシリアルで飾り立てて笑わせるジョークも。全て準備完了、さあ位置について。一番はだれ?サウル、おまえよ。
 しかし、あらゆる物事が進むにつれ、同じような疑念が再び湧いてくる。春の空気の中で綿毛を思うように吹き飛ばせないような疑問。このできごとにどう向き合おうとしている?この坊やは、何もわかってない二人の女性に託されて良いの?そうよ、とサスキアは思うようにしている。主に赤ん坊のそばにいて見ている方の女。赤ん坊を作るのに全く関与していない方の女。どこから手をつければいいのか、何もわかってない方の女だ。この坊やは、これから偏屈な世の中に送られて良いの?そうよ、とユーリは思うようにしている。
 看護師や面会客が出たり入ったりしている。他の人が一緒にいると、サスキアは全宇宙の自尊心をかき集めて、改めて愛にまつわる普遍的なことばを放つ。階段を上り下りするように、美しさや小ささにまつわることばを使って彼の愛くるしさを褒めちぎる。ユーリの全てがこの子にはあるが、彼女のあごや雄弁さはない。サウルのあごは、九ヶ月の旅路を経て胴体と一体化し、単なるしわのように見える。同じ部屋の中で一緒に過ごして一日が経過する。外からやってくる看護師や面会客は世界の破片を持ち込む。野ネズミが主人公の絵本、タブロイド紙、新聞を。

*

 初めての夜。彼はまだカゲロウのようだ。指をけいれんさせながら、サスキアは男の子が生まれたことを伝えるメッセージに両親が返信するのを待っていた。返信はない。赤身の肉の色をしたソファに一晩中寝そべり、ユーリと息子から五メートル離れたところで、ひとり身をよじらせていた。喜びの只中にいながらも、何かのせいで、その心には穴が空いていた。
 結局両親はやって来た。翌日、面会時間が終わる八分前に。ユーリがサスキアにだまって電話した、と後から聞かされた。ずる賢く、人の心を動かす愛しのユーリ。わたあめなんかでくるまない愛、この上なくわかりやすい愛、誠実な愛、まっすぐな愛。私は全知識を込めてここに書いている。サフランを使うように全てを同じ色に染めてしまわないよう、言葉で言い表す方が効率は良い。ユーリは電話した。サスキアが夜通し泣いているのを見かねて、間に入った方がいいと思ったのだ。看護師がユーリの介助をしようとしているところで、両親は扉をノックした。したがって、検閲済みとなりむき出しになったユーリの胸に吸い付くサウルに大きな毛布がかかった状態で十分間、居心地悪いひとときを過ごすこととなった。二人は彼をちらりとも見ない。でもサスキアは両親に見せたいと思っていた。彼女にだって、家族を演じることができる、ということを。ここで勝てば克服できるものと思っていた。「ほら、ママ、パパ、二人の思い通りよ。このチビは私の子なの」でもこの時になって初めて、病院の味気なさを感じる。壁が迫ってくるかのような感覚、両親もそれを感じたのか、そそくさとその場を後にした。任務を終えたことに安心したのだろう。
 彼女たちは病院で一週間、女王様のような扱いを受けて過ごした。春まっさかりの中、病室は無敵の夏を迎えていた。食べて寝て新たな命とともに新たな季節の中、目覚める。病室での生活。昼も夜もなぞの生物を観察し、食べ物をもらい、新しい面会の波が押し寄せるたびにスパークリングワインを何本か開け、ソファベッドで横になり、夜は小さな音が響きわたるたびに飛び起きる。全力でミルクを求める泣き声、昼も夜も鳴るアラーム音。そして現れるのは女性ばかりだ。小さな坊やが万全の状態にならない限りは旅立てない。脂肪分たっぷりの母乳一滴一滴もしかり、サスキアは汚れたおむつを取り替えた時にへその一部が取れてしまい、致命傷を負わせたのではないかと怯える。あわてていると笑い声が聞こえて来て、ほほえむ看護師につられて笑う。笑ってユーリと安心する。病院で一週間を過ごし、二人は契約を延長したいと思っていたが、助産師たちはこぞって彼女たちを出口へと案内する。外の世界へ、自宅へと。
 帰宅。ユーリはふらつきながらも愛情をふりまいている。二人そろって、玄関そばの路上にいる。サスキアは永遠にその場に留まりたいと思っている。何もかも包み込むような陽だまりの中、三人そろってこのまま家に入らなくていい。でも指をパチンと弾くように、そんなひとときは終わりをむかえる。二人には一緒に彼を戸口に運び入れる、という象徴的な作業がある。赤ん坊というよりはマキシコシ、つまり現実というよりは期待を運ぶような感覚だ。ふいに、その瞬間がやってきたことが見えてないのが、自分で飲み込めなくなる。別の役割を演じるために自分をリニューアルし、血のつながっていない子どもに自分をしばる瞬間をむかえた、ということを。二人はサウルのために、家をリニューアルした。サスキアは仕事場を半分に分けた。絵を描くので、遅い時間でもキャンバスに向かうことができる秘密の部屋と、まだ百個の名前が並ぶ赤ん坊用の寝室を一枚の壁で仕切っている。彼女は自分も半分に仕切るのだろうか?ユーリはすんなり適応した。九ヶ月かけてリニューアルしてきたのだから、当然だ。職人たちが壁を作っている最中、その壁はまだ傾いていたが、単純に家を再配分すればいいだけのことだ、とその時サスキアは思った。彼女のベースとなるものでつまった空間。自分だけのマイルーム。扉のついた唯一の部屋。それを見て二人は笑う。今や彼女の仕事場は、この開放的な家の頂点に君臨する。彼女は浮世ばなれした部屋にいて、天から叫ぶ。その声は家中にこだまする。こうやってこれからは、全てを共にするのだ。