ヨーロッパへの窓

★★★★★★

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ポルトガル ポルトガル

『ポルトガルへの旅』より

Viagem a Portugal

『ポルトガルへの旅』より


『ポルトガルへの旅』(1981年)サラマーゴによる旅行記より抜粋
木下眞穂 訳

まえがき

 序文などという説明が必要な本の気の毒なこと、そんな重荷を背負わされる序文の気の毒なこと。よろしいか、これは序文などではない、ただの警告であり忠告なのだ、旅人が、すでに戸口に立ち、そのまなざしを目の前の地平線に向けながらも、後に残る人に花の世話はああしろこうしろと伝える言葉のようなものなのだ。それとこれとの違いは、違いがあるとしてだが、これが最後ではなく最初の忠告であるということだ。これ以降、忠告はない。
 それゆえ、読者には前もって諦めておいていただこう、今から読まれるこの本は、順序だって書かれたガイドでもなければ、片手で持ち歩く道路地図でもないし、一般的な目録でもない。この先に続くページは、困ったときに駆けこむ旅行代理店や観光案内所の代わりにはならない。そもそも、筆者にはアドバイスを与えようなどという気は毛頭ない。述べたい意見は存分にあるのだけれど。確かに、本書では場所が選ばれ、その風景や芸術が紹介されているし、ポルトガルの自然な姿や変化した様子なども描かれている。しかし、この旅程をぜひにと勧めることはしないし、巧みな案内をするわけでもない。理由は簡単、何が便利でどういう習慣が良いかなどは、外の世界を見聞しに家から出た者が必然的に身につけていくものだからだ。当然のことながら、筆者は人々が必ず足を向けるところに行ってきたが、滅多に足を踏み入れない場所にもまた、行ってきている。
 たとえ即座に役立ちはせずとも、序文でそれなりに有用なことを伝えられる本とは、結局どういう本なのだろうか。本書『ポルトガルへの旅』は、一つの物語である。自分が歩いた旅の内側にいる旅人の物語、内側にいる旅人を運ぶ旅の物語、見る側と見られる側とが融合しようとする中で一つになっていく、旅と旅人の物語、それは、主観性と客観性との、必ずしも平和的とは限らない出逢いなのである。そこには衝突と適応があり、気づきと発見があり、追認と驚きがあるだろう。旅人は、自分の国を旅したのだ。つまり、彼は自分自身の内を旅し、その人となりを形成し、今も形成している文化を旅したのであり、つまり、数週間に及んだ旅の間、旅人は外部の姿を映す鏡に、あるいは光と陰を通す透明なガラス窓に、または人々の姿を、声を、やむことのない呟きを、通りすがりに書き留める感受性のある標識となったのである。
 この本は、そういうものになりたかったのだ。そして、そういうものに少しはなれたのではないかと思う。この後に続くページは、挑戦であり招待でもあると読者には受け取ってほしい。旅する間は自らの計画に沿って歩んでほしい、この旅程であれば便利で簡単だ、この道なら誰かがすでに通ったところを辿れる、などという言葉には少しも耳を貸してはならない、道を間違え、後戻りすることを受け入れよう、あるいは、世界へと繋がる未知の出口が見つかるまでは、そのまま間違った道を突き進んでみよう。これほどよい旅があろうか。感性が必要だと言われるならば、何を見て感じたかを書き留めておけばよい、何を言い、何を聞いたかを。つまりは、さまざまな顔を持つこの本をその一例として受け取ってほしいのだが、この本をそのまま真似してほしいとは思わない。読者には知っておいてほしい、幸福には様々な顔があるということを。旅をするということは、おそらく、そのうちの一つだろう。あなたの花壇は面倒を見てくれる人に託し、始めよう。あるいは再び始めよう。決まった旅などありはしないのだから。

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